山口由美
2024年07月21日更新

仙之助編 十七の三

アメリカ号から下船した岩倉使節団の一行は、馬車に分乗し、マーケットストリートに立つ宿泊先のグランドホテルに到着した。数年前に開業したばかりの、当時、サンフランシスコで最上級の壮麗な外観のホテルだった。

グランドホテルサンフランシスコ

古式ゆかしい烏帽子直垂姿の岩倉具視大使、艶やかな振り袖姿の女子留学生たちが、ひときわ人々の目を引いた。そのほかの団員たちは洋装だった。

グランドホテルの偉容は、彼らも驚きだったのだろう。馬車を下りた彼らは、みな一様に建物を見上げて目を見張り、周囲をきょろきょろと見回しながら玄関を入っていった。

富三郎は、通りの向かい側から人混みに紛れて、その様子を見つめていた。

集まった人々は口々に「ジャパン」「ミカド」と連呼している。

彼らが日本人であり、古式ゆかしい装束の人物が、天皇ではないのだろうか、その系統を引くやんごとない人物であることは、富三郎もすぐに理解した。

ホテルの前には、次々と馬車が到着し、市長、商工会議所の会頭、提督、将軍など、一目で重要な役職とわかる人たちが降り立った。

グランドホテルの周囲は黒山の人だかりとなった。

夜が更けるにつれ、人の数はますます多くなった。集まった群衆の数はおよそ四万人にのぼった。軍楽隊があらわれて歓迎の曲を演奏する。ホテルの周囲はお祭り騒ぎだった。

エキゾティックな装いの岩倉大使がバルコニーにあらわれると、群衆の興奮は頂点に達した。岩倉は丁寧に頭を下げると、アメリカ国民の歓迎を感謝すると日本語で挨拶をした。

使節団随行のデロング公使が通訳すると、人々の歓声が夜空に響いた。
「ウェルカム、ジャパン」
「ウェルカム、ミカド」

富三郎は感極まって、日本語で叫んだ。
「私は日本人です。日本の皆さまのサンフランシスコ到着を歓迎致します」

だが、その声は群衆の歓声にあっけなくかき消された。

集まった人々のほとんどは白人だったが、通りを二つほど隔てたチャイナタウンの商店主たちも、もの珍しそうに集まっていた。いかにも労働者然とした服装をした富三郎の姿は、彼らの中に紛れていたに違いない。

富三郎は、もう一度、大きな声で叫んだ。
「私は日本人です。日本の皆さまのサンフランシスコ到着を歓迎致します」

声を上げた瞬間、今度は軍楽隊の演奏が高らかに始まり、富三郎の声は再びかき消された。

グランドホテルの周囲のお祭り騒ぎは、深夜まで続いた。

富三郎は喧騒の中で、いつまでもホテルの窓を見上げていた。

仙之助がこの一行の末席に加わっているなどという奇跡はないのだろうか。あるいは、仙之助の消息を知る誰かが一行の中にいないだろうか。彼らがサンフランシスコに滞在している間に、団員と接触する機会を何とか見つけようと、富三郎は考えていた。

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次回更新日 2024年8月4日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

住まいマガジン びお