山口由美
2024年08月11日更新

仙之助編 十七の五

富三郎は、使節団の若い団員たちを引き連れて、マーケットストリートから港と反対の方向に少し北上した。カーニーストリートで右に折れて、ポートマウス広場に向かった。

団員たちは興味津々に左右の高い建物を見上げていた。
「ほう、たいしたものだな」

富三郎も初めてサンフランシスコに来た時は、同じように何もかもが珍しかった。街の賑わいは、ホノルルとは比べものにならなかった。

カーニーストリートをさらにカリフォルニア劇場まで歩いた。
「これは、町一番の芝居小屋にございます」
「ほう、芝居小屋もこんなに立派な建物なのか」
「はい。ご存じと思いますが、サンフランシスコは二十年ほど前に金鉱が見つかって、それを契機に栄えたものでございます」
「わずか二十年でこんなに立派になったのか。ならば、我が国の新しい都もあと二十年もすれば、サンフランシスコになれるかもしれんな」
「はい、その通りでございます」

団員たちの表情がなごんだのを見計らって、富三郎は勇気を振り絞ってたずねた。
「あの……、ご一行の従者に、山口仙之助と申すものはおりませんか」
「山口仙之助?」
「はて、岩倉様の従者の……、山口殿のことではないか」

団員たちは顔を見合わせて言った。
「本日は休養日なので、我らもこのように三々五々出かけておる。山口殿も宿舎におられるのか、さだかではない。明日からは一同で市内視察の予定と聞いている。それには一同、同行するであろう」
「視察はどちらに行かれるのですか」
「さて、馬車と毛織物の視察だと聞いておったな」
「午後は確か、庭に行くそうだ」
「庭……、庭でございますか」
「さよう。なんでも大きな庭があるそうだな」
「ガーデン……、ウッドワーズ・ガーデンのことではございませんか」
「ああ、そんな名前だった気がする」
「そうですか。明日はウッドワーズ・ガーデンに行かれるのでございますね」

ウッドワーズ・ガーデ

ウッドワーズ・ガーデンとは、ゴールドラッシュで財産を築いたロバート・B・ウッドワーズという富豪が一八六六年に開園した遊園地のような施設だった。動物園があり、植物園があり、美術館がある。使節団が訪れた一八七二年のサンフランシスコでは、最大の観光地であるとともに、市民にとっては憩いの場であり、自慢の場所でもあった。そのため、産業施設とともにいち早く視察の日程に組み込まれたのだろう。

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次回更新日 2024年8月18日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

住まいマガジン びお