- 2025年01月26日更新
仙之助編 十九の四
三月二一日の午後、仙之助と富三郎は、アーリントンホテルでにこやかな表情の伊藤博文に出迎えられた。手渡されたのは大陸横断鉄道の一等車の切符だった。
「あ、ありがとうございます」
「おまえたちのおかげで旅が楽しみになってきたぞ。出発前に早めのサパーを一緒にしよう。それまで待っていてくれ」
そう言い残すと、伊藤は出発前に使節団の幹部たちと最後の打ち合わせがあると言って、前回面会した私室に消えた。
伊藤と同じ副使の大久保は朝早い列車で一足先に出発したという。仙之助たちは伊藤が帰国する理由の詳細を聞いていなかった。政府の使節団の責任者が二人までも緊急に帰国するとは、ただならぬ事態なのだろうが、だからこその幸運と言うべきで、一等車の切符をじっと見つめた。
仙之助たちが待つように言われたのは、アーリントンホテルのロビーだった。ホテルの玄関を入ってすぐのところにある滞在客や来訪者が自由にくつろぐことが出来る空間を「ロビー」と呼ぶことはホノルルにいた頃に学んだが、見上げるように天井の高いアーリントンホテルのロビーはホノルルの小さなホテルとは比べものにならなかった。
仙之助と富三郎はロビーのソファに腰掛けた。やわらかな座り心地がなんとも気持ちよく、ここ数日の張り詰めた気持ちが解放されていくようだった。旅立ちの準備と緊張で寝不足が続いていたこともあり、唐突に睡魔が襲ってきた。
眠っていたのはほんのわずかな時間だったが、仙之助は夢を見ていた。亡くなった仙太郎の夢だった。向かいのソファに座った仙太郎がこちらを見て笑っている。人生に転機が訪れるたびに、仙之助は仙太郎を思い出す。
「仙之助さん、仙之助さん」
呼びかけられて、はっと目を覚ました。目の前にいたのは、林之助だった。
「こんなところでうたた寝なんて、仙之助さんは大胆ですな」
そう言って笑われた。
「いやはや、失敬致しました」
「サンフランシスコまで伊藤様のお供をされることになったそうですね」
「はい、お陰様で」
「でも、本当はワシントンに居残る本隊に加わりたかったのではありませんか」
「いや……、そんなことはありません。伊藤様にお引きあわせて下さったこと、感謝しております」
林之助の表情がことさらに明るいのは、ワシントンに残る本隊の者たちにすれば、長い休暇が与えられたようなものだったからだ。大陸横断鉄道と太平洋の船旅を往復するとなれば、伊藤や大久保の帰着までに少なくとも三ヶ月は要するだろう。その間に東海岸の視察旅行も計画されると聞いて、彼らは心躍らせていた。