山口由美
2025年03月09日更新

仙之助編 十九の十

ネブラスカ州のオマハは、アイオワ州との境に流れるミズーリ川の西岸に建設された都市だった。この土地に住む先住民の言葉で「オマハ」とは「流れに逆らう人々」を意味する。

オマハの開拓者として知られるウィリアム・D・ブラウンは、カリフォルニアのゴールドラッシュに向かう途中、ミズーリ川で渡し船を運航することを思いつき、この地にとどまった。西部に向かう大陸横断鉄道、パシフィックユニオン鉄道の起点であり、ミズーリ川の水運の起点でもあるオマハは、まさに西部の玄関口だった。
オマハ市を含む周辺の土地がオマハ族から割譲されたのは一八五四年のことである。この時、オマハはネブラスカ準州の準州都に制定された。

その後、まもなくオマハを開拓した白人たちによって、土地に侵入する者たちの自警組織として「オハマ・クレーム・クラブ」が結成された。彼らの所有する土地に準州議事堂が建てられ、後にダウンタウンとなる繁華街が生まれた。

「オマハ・クレーム・クラブ」の面々は、オハマで最初のホテルであるセント・ニコラス・ホテルに定期的に集まった。そのため、ホテルは通称「クレーム・ハウス」と呼ばれた。ホテルはオハマで最初の大きな建物であり、当初は教会の礼拝もここで行われていた。その後、二軒目のホテル、ダグラス・ハウスが開業すると、こちらにもクラブの会員たちが集まるようになった。

次いで、ダグラス・ハウスの経営者たちによって開業した新しいホテルがハーンドン・ハウスだった。南北戦争の開戦時には、ホテルの南に面した庭に出兵する兵士たちが集まり、宣誓を行った。大陸横断鉄道の開発に伴う祝賀会や晩餐会もここで開かれた。

ところが、一八六七年、州に昇格される際、州都はより中心部に位置するランカスター市に定められ、さらに市の名称はその二年前に暗殺されたエイブラハム・リンカーンにちなみリンカーン市とあらためられた。

州都にはならなかったものの、その後もオハマには多くの人口が流入し、西部開拓の拠点としての位置づけは変わらなかった。周囲に広がる広大な土地では牛の放牧も行われるようになった。

伊藤と共に仙之助と富三郎が訪れた一八七三年のオマハは、いまだ発展の途上にあり、数年前に開業した馬車鉄道が走る街中は活気に満ちていた。ゴールドラッシュでいち早く発展を遂げたサンフランシスコに比べると、小さな田舎町ではあったが、ブームタウンの熱気がそこにはあった。仙之助は、横浜に共通する雰囲気を感じていた。一山当てようとする者たちが集う発展途上の街に特有の猥雑さのようなものだった。

伊藤博文と大久保利通の一行が落ちあったのは、開業したばかりの威風堂々たる外観のグランド・セントラル・ホテルだった。

一八七〇年にオマハを代表するホテルとして歴史の舞台ともなったハーンドン・ハウスが閉鎖された後、関係者たちの尽力により計画され、満を持して開業したものである。当時「シカゴとサンフランシスコの間で最も大きくよいホテル」と称されていた。

次回更新日 2025年3月16日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

住まいマガジン びお