山口由美
2025年06月01日更新

仙之助編 二十の十

牛のロングドライブの旅は過酷だった。

中西部の気候は気温の寒暖差が大きく、朝晩は寒くて、日中は暑い。竜巻や砂嵐に見舞われることも少なくなかった。悪天候は牛の不安をあおり、暴走がおきるきっかけになった。牛の暴走(Stampedeスタンピード)は、ロングドライブにおいて最も恐れられたことだった。カウボーイたちには寝床もなく、夜になれば、毛布にくるまって草原に体を横たえるしかない。入浴することはもちろん、着替えもままならなかった。

そうした状況では、当然、健康を害する者もあった。カウボーイが命を落とす理由は、必ずしも西部劇に描かれているような決闘ではなく、実際は、むしろ過酷な生活環境ゆえの病気や怪我が多かったのである。
「牛の町」には、金を持ったカウボーイを目当てにいろいろな商売の者たちが集まった。そうしたなかに医者や歯医者もいた。「牛の町」にやって来る医者は玉石混淆で、診療を金儲けの手段としか考えない者も多く、偽医者も少なくなかった。

アビリーンでジムとジョーイを手当したのは、東部の医科大学を卒業した正規の免許を持つ女医だった。その意味で、彼らは運が良かったのだが、そもそも一九世紀の医療では、脳卒中などの脳疾患を治す技術はなかったから、ジムの場合は、たまたま発作が軽くて命拾いしたのだろう。

アビリーンで冬を越したジムとジョーイは、再び牛のロングドライブに加わるべく、テキサスに帰るタイミングを図っていた。だが、体調が万全でなく不安を覚えていた彼らの前にあらわれたのが仙之助と富三郎だったのだ。

ジョーイは彼らをまず雑貨屋に連れて行った。当時、アビリーンで一番の人気を誇った「テキサス屋」という店だった。食料品から衣服、調理器具や皿などの雑貨から銃に至るまで、生活に欠かせないものは何でも売っていた。ジョーイに勧められて仙之助と富三郎が購入したのは、カウボーイハットと丈夫な衣服だった。

つばの広いカウボーイハットは格好をつけるためのものではなく、実用品としての意味合いが大きかった。日差しや雨から頭や顔を守るのはもちろん、水を汲むバケツ代わりにもなり、火をおこす時のうちわにもなった。カウボーイたちは、朝起きると、何はさておきまずこれを被り、夜寝る直前まで身につけていた。

丈夫な作業ズボンとして好まれたのは、ゴールドラッシュのカリフォルニアで誕生した分厚い綿布のデニムを虫除け効果のある青色の染料(インディゴ)で染めたものだった。リーバイス・ストラウスという東部からやって来た男がテントや日除けに用いるキャンバス生地を販売しようと目論んだが、さっぱり売れなかったのでズボンに仕立てたところ、丈夫な作業着として大当たりした。その後、工場生産するようになってからデニム生地が使われるようになったものである。

仙之助と富三郎は、さらに首に巻くバンダナを購入した。これも強風や吹雪の時に首や顔を守る実用品であり、合図の旗や包帯の代わりをすることもあった。

次回更新日 2025年6月8日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

住まいマガジン びお