山口由美
2025年06月15日更新

仙之助編 二十の十二

ブルズ・ヘッド・サルーンは、商売の心得があったフィル・コーがもっぱら切り盛りをしていたが、一八七一年十月に乱闘騒ぎがあり、射殺されてしまった。共同経営者のベン・トンプソンは、いったん店を閉めようとしたが、体が動くようになったサワードゥのジムにしばらく店を任せることしたものだった。ジムにしてみれば、寝泊まりするところが出来て、食べるに困らない状況が得られたことは願ってもない幸運だった。

仙之助と富三郎もマーチャントホテルを引き払って、ブルズ・ヘッド・サルーンに転がり込むことにした。この先、いつになったら金が稼げるかわからない。仕事にありつけるのがテキサスだとすれば、金の無駄遣いは出来なかった。

ブルズ・ヘッド・サルーンの裏手には一台の大きな幌馬車が停めてあった。

チャックワゴン

「俺の相棒のチャック・ワゴン(Chuck Wagon)さ」

ジムが自慢げに言う。西部開拓時代に活躍した炊事用の馬車だった。奥には居住スペースもあって、仙之助と富三郎はそこに寝泊まりすることになった。

チャック・ワゴンは、後ろの扉の板を外し、支柱で支えると、調理台になる。引き出しのある箱が収納されていて、小麦粉、塩、砂糖、豆、塩漬けの豚肉、乾燥果物などの食料品、コップや皿、調理器具がしまってあった。

最も重要な調理器具は、鋳鉄製の鍋であるダッチオーブンだった。

炭火をおこして、その上に鍋をおいて調理する。煮込み料理から、肉のローストやパンも焼ける。仙之助たちが最初にブルズ・ヘッド・サルーンで味わった豆の煮込みと自慢のサワードゥも全てダッチオーブンで調理したものだった。

乗馬では富三郎が優位だが、キッチン周りの仕事が器用なのは仙之助である。捕鯨船でもホノルルでもハウスボーイとして働いていた経験があったし、見様見真似で朝食など、簡単な料理は作ることができた。

右手に麻痺が残り不自由していたジムは手伝いする者が出来て大喜びだった。
「今日は、俺のサンノバビッチ・シチューを作ろうぜ」

どこからか牛肉の臓物を手に入れてきたジムは、上機嫌にそう言うと、仙之助にタマネギとにんじんを刻むように命じた。

サンノバビッチ(Sun of a Bitch/娼婦の息子)とは、「くそったれ」「この野郎」といった英語圏で最低の罵倒語である。定番のカウボーイ料理はなぜかそう呼ばれていた。

仙之助は、捕鯨船でこの言葉を覚えた。そう言えば、カウボーイのジョーイは口癖のように口にする。そうしたことからついた名称なのかもしれない。牛のロングドライブで料理人たちがカウボーイのために作る肉入り煮込み料理の総称のようなもので、決まった材料もなければ、作り方も千差万別だった。だが、料理人たちは、それぞれに自慢のサンバビッチ・シチューのレシピを持っていた。

ジムは鼻歌を歌いながらダッチオーブンを火にかけた。しばらくすると、美味そうな匂いの湯気があがってきた。

次回更新日 2025年6月22日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

住まいマガジン びお