山口由美
2025年08月03日更新

仙之助編 二十一の七

ジョーイの穏やかな寝息に安心して、仙之助たちも眠りについた。

仙之助は夜中に何度となく目を覚ましては、毛布をかけたジョーイの胸元が微かに上下するのを確認して、そのたびに安堵した。とにかく息をしている。

夜が明けて、一番に起き出したジムが火をおこしてコーヒーを沸かした。

馥郁としたコーヒーの香りがチャックワゴンの中まで漂ってくる。
「おめえら、いつまで寝ているんだ」

仙之助と富三郎も起き出して、コーヒーのコップを受け取った。だが、薬が効いているのか、ジョーイだけは、いつまでたっても目を覚まさなかった。
「おい、ジョーイ、俺のコーヒーが飲めねえってことか」

憎まれ口を叩きながら、ジムはコーヒーの入ったコップを持って、ジョーイの枕元にやってきた。仙之助たちも顔を覗き込んだ。息はしている。確かに息はしている。

しばらくして、ジョーイが静かに目を開けた。
「おい。ジョーイ、大丈夫か」

ジムの問いかけに何かを言いたげな表情をしたが、また目を閉じた。
「ジョーイ」

仙之助が大声で呼びかけると、ジョーイの口元が微かに動いた。
「俺は……、まだ死んでねえ」
「そんなこたあ、わかっているぜ」
「俺は……
「わかった、わかった。それより俺の淹れたコーヒーを飲め」

そう言って、ジムはジョーイを抱えて起こした。仙之助と富三郎が積み荷に毛布をかけて背もたれを作った。コップには冷ました薄いコーヒーが入っていた。

ジョーイはジムに抱えられてコーヒーをゴクリと飲み込んだ。
「今夜もここでもう一晩休んでいくか」

ジムが問いかけると、ジョーイは黙って首を振った。
「旅を続けるのはしんどかろうよ」
「しんどいのは同じだ。ぐずぐずしてられるか」
…………

返す言葉が見つからないまま、三人は黙り込んだ。
「おめえらを立派なカウボーイに仕込むまでは死ぬに死ねない」

仙之助と富三郎の顔を見て、睨み付けるような目つきでジョーイは言った。
「さあ、出発だ。おい、仙之助、今日はお前がドナに乗れ」
「は、はい」

ジョーイは必死の形相で起き上がったが、土気色の顔色は変わらず、ジムが昨晩の残り物で大急ぎで準備した朝食にも全く手をつけなかった。

次回更新日 2025年8月10日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

住まいマガジン びお