山口由美
2025年09月21日更新

仙之助編 二十二の一

仙之助が意を決し、富三郎に話を切り出したのは、年が明けて一八七四年の春の始めのことだった。ロングドライブが始まる季節なのに、フォートワースの町は前年の不況の影響を受けて、どことなく活気がなかった。
「富三郎、実は去年の暮れからずっと考えていることがあるんだ」
「あらたまって何ですか」
「私たちは牛がたくさんいるテキサスから鉄道駅のある町まで運んで金を得ている」
「その通りですね。それが何か?」
「もっと遠くまで牛を運んだら、もっと大きなことができると思わないか」
「どういう意味ですか」
「テキサスロングホーンの肉は美味い。価値があるということだ」
「そうですね」
「横浜の肉屋がいい肉牛を手に入れるのに苦労していたことは知っているだろう」
「なんで横浜の話を持ち出すんですか?もっと遠くって、まさか」
「そう、太平洋を渡って日本まで運んだら、テキサスの牛は大変な価値になるに違いないと思い立ったんだ」
「太平洋……。気は確かですか。仙之助さん、まったく、あなたって人は」

富三郎は呆れたような表情で笑った。
「真面目な話だよ。鉄道には貨車がある。牛を載せてカリフォルニアに行くことは難しいことじゃない。東に向かうか西に向かうかの違いでしかない」
「そりゃあ、そうですけど」
「サンフランシスコからは郵便汽船に牛を乗せる」
「本気で言っているんですか」
「もちろんだよ。トレード・ボスのサムには、今度のロングドライブでアビリーンまで行ったら、牛を五、六頭ばかり格安に譲り受けたいと話をしている。ものの数じゃないから給金の足しにくれてやると言ってくれた」
「牛を連れて太平洋を渡るって話もしたんですか」
「まあね」
「何と言っていましたか」
「呆れて笑っていたよ」
「ハハハハ、ハハハハ、カウボーイだって呆れますよ。牛を連れて太平洋を渡る奴なんて、仙之助さん以外にいませんよ」
「他に誰も考えないから商機があるんだよ」

仙之助はいたって真面目な表情で答えた。
「本当に牛を日本に連れ帰る気ですか」
「もちろんだよ。富三郎も手伝ってくれないか」

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次回更新日 2025年9月28日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

住まいマガジン びお