山口由美
2025年10月26日更新

仙之助編 二十二の六

貨車から降ろした牛は、幸いどれも健康だったので、仙之助は男に好きな牛を選んでもらい、約束の一五〇ドルを受け取った。

到着した鉄道に接続する蒸気船は、すでに出発していた。どうしたものかと思っていたところ、背後から突然、日本語で話しかけられた。
「もしや、日本のお方ではありませんか」

仙之助と同じくらいの年格好の身なりの良い青年が立っていた。
「はい、そうですが」
「日本語でお話しされている声が耳に入ったもので。立ち聞きなどして申し訳ありません。私は浜尾新と申します」
「浜尾さん……ですか。私は山口仙之助と申します」

富三郎も慌てて名乗った。
「私は牧野富三郎と申します」
「牛……の取引をされているのですか」
「はい、何と言いますか……。この牛は日本に連れて帰ろうと思っております。三頭を手放したのは、残りの牛の船賃の足しにしようと思った次第でして」
「ほう、日本に、ですか」
「はい、ところで浜尾さんは?」
「自分の素性も話さないうちに、あなたさまの詮索をするとは失礼なことでした。申し訳ありません。私は留学生です」

仙之助は羨望のまなざしを向けた。二年近いカウボーイ生活で忘却していたが、使節団の従者、同じく使節団に同行していた留学生たち、彼らのような立場に憧れて太平洋を渡り、大陸横断したことをあらためて思い出した。仙之助の心内に気づいたのかどうかはわからないが、浜尾は言葉をつないだ。
「いや、留学生と言っても、実は、通っていた学校がなくなってしまいまして。今は浪人生活と言いますか……
「学校がなくなった?どういうことですか」
「ご存じかどうか、昨年の九月にオークランドは大火に見舞われましてね」
「その頃はカリフォルニアにいなかったので存じませんでした」
「私の留学先の学校が全焼してしまったのです」
「それは災難でしたね」
「幸い校舎を貸してくれるという大学はあったのですが、火事の騒動で教官たちが次々と辞めてしまい、授業もなくなってしまいまして。どうしたものかと途方に暮れておりました。そうなると望郷の念が募りまして、つい桟橋に足が向いてしまった次第です」

前途洋々の留学生にもこんなことがおきるのだろうか。仙之助は、率直な物言いをする浜尾新という青年に親近感を抱いた。

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次回更新日 2025年11月2日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

住まいマガジン びお