山口由美
2025年11月09日更新

仙之助編 二十二の七

浜尾新は一八四九(嘉永二)年の生まれ、仙之助の二歳年上だった。オークランドで出会った時は二十五歳。但馬豊岡の武士階級の出身で文部省から米国に派遣されていた。

大火で焼失してしまった学校というのは、オークランド・ミリタリー・アカデミーと呼ばれた西海岸で最初の兵学校である。創業者のデイビット・マクルーアの名前をとって、マクルーア・ミリタリー・アカデミーと呼ばれることもあった。兵学校といっても、マクルーアのほかに教官は五人だけ。多分に私塾のような学校だった。

もっとも浜尾新が文部省に出仕する前、豊岡藩から派遣されて学んだ慶應義塾も、彼が入塾した一八六九(明治二)年当時、十人ほどの塾生しかいなかった。だから浜尾は留学先として、とりたてて違和感を覚えることはなかった。ところが、大火をきっかけに状況が一変する。日本への通信は郵便汽船のみが便りだった時代、後ろ盾もない浜尾は途方に暮れてしまった。帰国の算段をしようと思っていた矢先、偶然にも出会ったのが仙之助と富三郎だったのである。
「あの……、牛のことをおたずねしてもよろしいですか」

浜尾は、おずおずと切り出した。
「牛に興味がおありですか?」
「いや、私は全くの専門外ですが、この立派な牛どもはどこからお連れになったものかと思いまして。鉄道の貨車に乗せてこられたのですよね」

興味津々に浜尾は聞いた。
「鉄道に乗せたのはネブラスカのオマハですが、牛どもの故郷はテキサスですよ」
「テキサス?」

浜尾には馴染みのない地名だった。
「牛の王国です」
「ほう、牛の王国ですか。それにしても、ずいぶんと立派な角ですなあ」
「テキサスロングホーンという種類の牛で、肉も大変に滋味があります」
「日本にはいない牛ですね」
「もちろん。日本どころか、カリフォルニアにもいませんよ。東海岸にもいない。だから高値で取引されるのです」
「なるほど。お二人はその……、テキサスに牛を買い付けに行かれたのですか」
「いや、牛のロングドライブに携わっていました。テキサスの草原や牧場からタダ同然の価格で仕入れた牛を鉄道駅のある町に連れて行って売却するのです。何千頭もの牛の隊列をカウボーイたちが先導する。それが牛のロングドライブです」
「カウボーイですか。その言葉は聞いたことがあります。もしかして、お二人は、そのカウボーイだったのですか?」
「まあ、そんなところです」

浜尾は憧れを込めた表情で、仙之助と富三郎の顔を見て目を輝かせた。

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次回更新日 2025年11月16日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

住まいマガジン びお