山口由美
2025年11月16日更新

仙之助編 二十二の八

「もしかして、その帽子もカウボーイの装束なのですか?カリフォルニアでも見かけることはあるのですが」

浜尾はカウボーイハットを珍しそうに見上げてたずねた。
「そうです。この帽子は強い日差しや雨風除けになるだけでなく、水を汲むバケツ代わりにもなる。大変有用で、カウボーイにとって……、魂のようなものです」

仙之助の説明に富三郎が付け加えた。
「仙之助さんのこの帽子は、私たちを鍛錬してくれたカウボーイの形見です」
「その方は、亡くなったのですか」
「旅の途中で病が悪化して、何もしてあげられませんでした。ジョーイがいなければ、私たちはカウボーイになっていなかったでしょう」
「富三郎はともかく、馬乗りの心得もなかった私がまがりなりにもカウボーイになれたのは、ジョーイのおかげでした。そう、これはジョーイの魂ですね」
仙之助は、カウボーイハットを脱いで愛おしげに浜尾に見せた。
「ところで、牛の、ロングドライブですか、それについてもう少し教えてもらえませんか。牛のロングドライブが金になるから、カウボーイという仕事が生まれたのですか」
「そういうことでしょうね。牛のロングドライブが金にならなければ、カウボーイという職業は成り立ちません」

富三郎に続いて仙之助が答えた。
「牛のロングドライブは大陸横断鉄道が開通してから盛んになったようです。中西部の起点となる鉄道駅があるところを牛の町と呼ぶのですがね、私たちが拠点としていたのもアビリーンという牛の町でした。そこから東海岸の大都市に牛が運搬できるようになり、一攫千金を夢見る者たちが牛の町に押しかけるようになりました」
「かつてのゴールドラッシュの再来が牛のロングドライブなのですか」
「そう、まさにそうです。カウボーイは遅れてきたフォーティーナイナーズなのです」
「ああ、一八四九年に金鉱が発見された時に集まった者たちの呼び名ですね」
「日本人にもフォーティーナイナーズがいたことはご存じですか?」
「異国への渡航は厳しく禁じられていた時代ですよね?」
「ジョン万次郎殿ですよ。金で帰国資金をまかなったそうです」

仙之助は、伊藤博文と大陸横断の旅で万次郎がフォーティーナイナーズだった話をしたことを思い出して得意げに語った。
「開成学校で英語教授をしておられる中浜万次郎殿のことですか。私はあの方の教本で英語の初歩を学びました」
「私もそうです。あの本が海の彼方への扉を開いてくれました」
「幕末に英語を学んだ者にとって、唯一の道標でしたね」

仙之助は同級生に会ったような懐かしさを感じ、浜尾にさらなる親近感を覚えた。

読者の皆様へ
平素より『ジャパネスク 富士屋ホテル物語』をご愛読いただき、誠にありがとうございます。
本連載は山口由美さんの新しいホームページへ移行することになりましたので、お知らせいたします。
これまでの連載は新しいサイトでも引き続きお読みいただけます。
新サイトは現在準備中につき、オープンまで今しばらくお待ちいただけますようお願いいたします。

これまでと変わらぬご支援をいただければ幸いです。
オープンまで、どうぞ楽しみにお待ちください。

次回更新日 2025年11月23日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

住まいマガジン びお