- 2020年08月02日更新
- 画 しゅんしゅん
仙之助編 一の九
アーネスト・サトウと医師のウィリアム・ウィリスが暮らす三軒続きの日本家屋の長屋にもうひとりの住人が加わったのは、一八六六年の秋のことだ。
英国大使館に新たに赴任したアルジャーノン・ミットフォードという外交官だった。
ウィリスと同い年の二九歳で、サトウは六歳年下だったが、日本語を学び始めたばかりのミットフォードに手ほどきをする役回りを任された。
日本語の翻訳や通訳をする仕事仲間だったシーボルトと共に、その頃、オランダ語の通訳と同じ報酬を得る交渉を勝ち取ったばかりだったサトウは、日本語の遣い手として名実ともに認められたことに自信を持ち、ことさらに意気軒昂だった。
駐日英国公使は、ラザフォード・オールコックからハリー・パークスに代わっていた。
オールコックは北京に転任になったが、その部下だったミットフォードは、彼の義理の娘と恋に落ち、結婚を反対されて、日本に赴任させられたと聞いた。
サトウは、日本に赴任したばかりの頃、居留地の事件となった当時の同僚と宣教師の娘との恋物語を思い出していた。成就する恋もあれば、しない恋もある。
少なからず傷心で日本にやってきたミットフォードのために、長屋で歓迎会が開かれた。
サトウとウィリスは、同じ年回りの士官たちも数人招いた。当時、横浜には、外国人守備隊として、イギリスの第九連隊が駐屯していた。
贔屓の神風楼に相談すると、格安の料金で歌と踊りの達者な芸者を手配してくれた。仕出し屋からは魚と豆腐の料理が届けられた。もちろん酒はふんだんに用意した。
日本料理になれないミットフォードは、黒い塗りの膳に用意された尾頭付きの鯛に目を白黒させていたが、美しい着物の女たちにはたちまち相好を崩した。
三味線の音色にあわせて踊りが始まった。
一曲終わったところで、三味線をひく女がサトウに聞いた。
「何かお好みの歌はございますか」
「威勢の良い歌がよいな。あの流行歌はどうだ。オッピキヒャラリコ、ノーエ……」
野毛山節という歌だった。女たちはキャッキャッと笑いながら歌い始めた。
──野毛の山から、ノーエ。野毛の山から、ノーエ。
野毛のサイサイ。山から異人館をみれば。
お鉄砲かついで、ノーエ。お鉄砲かついで、ノーエ。
お鉄砲サイサイ。かついで小隊すすめ。
オッピキヒャラリコ、ノーエ。オッピキヒャラリコ、ノーエ。
オッピキサイサイ。ヒャラリコ、小隊すすめ。
サトウは最後の呪文のような歌詞が好きだった。ミットフォードも気に入ったらしい。男たちも立ち上がって「オッピキヒャラリコ、ノーエ」と声をあわせ、女たちの真似をして手をヒラヒラさせながら踊った。夢のように楽しい宴は、深夜まで続いたのだった。