- 2022年02月20日更新
仙之助編 六の十二
「本当にジョンマンと同じ船に乗っていたのですか?」
仙之助は頬を紅潮させてダニエルに問いつめた。
「本当だとも。フランクリン号という捕鯨船だ。俺は、船員の中で一番下っ端の役立たず者だったが、ジョンマンは、そんな俺のことをかわいがってくれた。ジョンマンから教えてもらったことは数え切れない」
「捕鯨船と言うことは、鯨を捕っていたのですね」
「そうだ」
「ジョンマンは鯨を捕る達人だったのですか?」
「もちろんだ」
「あなたの船も……、捕鯨船なのですか?」
「そうだ。お前はジョンマンと同じ捕鯨船に乗るんだ。準備はいいか、ジョンセン」
「はい」
仙之助は足底からゾクゾクと武者震いがするのを感じていた。
浅草の漢学塾にいた頃、仙太郎とジョン万次郎の教本を勉強していた記憶がよみがえる。遠い畏敬の存在だったジョン万次郎と同じ船に乗った異人が目の前にいる。その人の船に乗って異国に旅立つ。こんな信じがたい冒険が実現するなんて。おきていることが現実とは思えない。仙之助は興奮でどうかなってしまいそうだった。
船長がつけたジョンセンというニックネームも運命的だった。
仙太郎と仙之助を結びつけたジョン万次郎のジョン。仙太郎と仙之助に共通するセン。さまざまな縁が凝縮していて、それでいて全く新しい人格がそこにあった。
仙之助という存在は消えて、密航者である仙太郎と、捕鯨船の船乗りになるジョンセンがその体に乗り移った。雲の上にいるようにふわふわとした感覚があった。
「出発は……そうだな、二週間後でもかまわないか」
ヴァン・リードが少し焦ったように言った。
「二週間か……、仙之助は大丈夫なのか」
「はい、大丈夫です」
これから旅立つのは仙之助ではない。過去の自分は捨てたのだから何の準備も必要ないと彼は思った。お伊勢参りや湯治に行くのではない、捕鯨船の旅に必要なものなんて検討がつかない。ならば何もいらないのではないか。遭難したジョン万次郎のように、身一つで運命に身を任せればいい。
きっぱりと思い切れるのは、豚屋火事で全てが焼けてしまったからでもあった。
神風楼の商売が繁盛していたら、簡単に横浜を去ることはできなかっただろうし、義父の粂蔵も異国に行ってこいとは言わなかったに違いない。
港崎