- 2022年08月14日更新
仙之助編 九の一
クレマチス号はハワイの海域をゆったりと航行した。
満天の星が輝く、穏やかな夜だった。
海は凪いでいるのに、決して無風ではなく、帆船を進める心地よい風が吹いている。風の島であることを仙之助は実感した。
船室に戻っても、なかなか寝付けなかった。この世のものとも思えない美しい風景に圧倒された興奮と、いよいよハワイに到着する緊張が重なって目がさえた。長い航海が終わり、クレマチス号で過ごす最後の夜という感傷もあった。
浅い眠りは、ラニのひと言でたちまち覚醒した。
「オアフ島が見えたぞ」
甲板に出ると、まばゆい朝陽の先に再び緑の島影が見えていた。
ホノルルは横浜のように大きな港だと聞いていたのに、眼前の島は、カウアイ島と同じく緑の切り立った山々が連なり、町らしきものは見えなかった。
カウアイ島のナパリ海岸に比べると、山々はやや内陸に引っ込んでいて、手前には美しい砂浜が見える。水深が浅いからだろうか、ナパリ海岸の沿岸とは海の色が違った。
明るく鮮烈に光り輝く青。見たことのない美しさだった。
仙之助はラニにたずねた。
「ここは……、どこですか」
「オアフ島の西海岸を航行している。あの山はワイアナエ山脈、このあたりはマカハ渓谷と呼ばれている。俺の……故郷だ」
「美しい……、ところですね」
「そうだろう。ジョンセン、よく覚えておけ。ホノルルだけがハワイではない」
「はい」
「少なくとも、ホノルルは楽園ではない。ハオレ(白人)たちがちっぽけな社交界で醜い争いごとばかりしている。お前も嫌な思いをすることがあるだろう」
「……」
仙之助は、ヴァン・リードもハワイは楽園と言う一方で、ホノルルの社交界の悪口を言っていたことを思い出した。
「だがな、ハワイは本来、楽園だった。ホノルルを離れれば、こうして楽園の風景がある。俺の祖父さんのそのまた祖父さん、俺たちの祖先が海を渡って辿り着いたハワイは、紛れもなく楽園だった。嫌なことがあったら、そのことを思い出せ」
「ホノルルを見る前に、楽園のハワイを見ることができて幸せでした」
仙之助の言葉にラニがとびきりの笑顔を見せた。
「俺はお前と旅が出来て幸せだったぞ」
「私も幸せでした。いい……旅でしたね」
ラニは、仙之助の肩を抱き寄せた。