山口由美
2022年09月11日更新

仙之助編 九の五

ラニは眼前に迫る山に向かって、さらに歩き続けた。

金色の朝陽が山々の緑に光って美しかった。市街地を抜けても道はまだ平坦だったが、石がゴロゴロして少し歩きにくい。仙之助もラニの背中を追って歩き続けた。

白いペンキを塗った異人館が途絶えると、藁葺きの家が見え始めた。

日本の民家と違うのは、屋根だけでなく壁にも藁が拭かれていることだった。家はどれも貧相だったが、庭の広さと美しさは異人館に負けていなかった。芝生もよく手入れされていたし、庭に植えられた緑は生育がよく、勢いがあった。

ラニは、ひときわ花の香りの芳しい庭の前で立ち止まった。

19世紀中頃のハワイの家

ムウムウと呼ぶのだろうか、目にも鮮やかな赤い布地のゆったりとした服をまとった女性が、庭に座って細長い緑の葉で何かを編んでいた。
「マーマ」

ラニは女性に呼びかけた。女性は緑の葉を手にして駆け寄ってきた。
「ラニ……

その後に続いたハワイ語らしき言葉は、仙之助には聞き取れなかったが、再会を喜ぶ母と息子のやりとりであることは容易に理解できた。

仙之助は麦わら帽子を目深に被ったまま、黙って立ち尽くしていた。

しばらくすると、ラニは振り返って英語で仙之助を紹介した。
「マーマ、彼は同じ捕鯨船に乗っていたジョンセンだ」

仙之助は、咄嗟にラニから教わったハワイの挨拶を思い出した。
「ア……、ア、ローハ」ラニによく似た面差しの女性にぱっと笑顔が広がるのがわかった。
「アローハ、ジョンセン。コッウ・オハナ」
「コッウは私の、オハナは家族という意味だ。自分の家族にとって大切な人は、血のつながりはなくても家族だと、ハワイアンは考える」

ラニが説明してくれた。
「アローハ、私はラニの母、モアニ。我が家にようこそ」

仙之助はラニの母が英語を話すことに少し安堵したが、英語で返答した後に、少し考えてもうひとつ覚えていたハワイ語の挨拶を添えた。
「お目にかかれてうれしいです。えっと……。マ……、マハロ」
「ありがとう」の意味だった。

モアニは弾けるような笑顔になって、少し待てと言う仕草をした。

手にした緑の葉を編んだ首飾りのようなものを手早く仕上げると、仙之助の首にかけた。英語でティーリーフと呼ぶ植物の葉だった。ハワイアンは「キー」と呼ぶ。悪霊を追い払い、幸福をもたらす意味があるとラニが教えてくれた。

仙之助は、もう一度心を込めて「マハロ」と告げた。

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次回更新日 2022年9月18日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

住まいマガジン びお