- 2023年11月05日更新
仙之助編 十四の四
ハワイ政府との取り決めの調印書には、上野景範使節の希望により、駐在の米国公使ピアースと、英国総領事 J・H・ウッドハウスが証人として署名した。約定が国際法とハワイの法律に抵触しないこと、またハワイ政府が承認したものであることを両者の合意の下に声明するためだった。
慎重な物事の進め方は、弱冠二十五歳の若き外交官の手腕であり、補佐役の三浦の緻密さのなせる技でもあった。電信や電話もなかった時代のこと、定期航路もない日本とハワイの間では文書のやりとりもできない。本省との確認もままならぬ状況で、彼らは自らの判断で最善の成果を成し遂げたのだった。
この取り決めをもって、違法渡航者とみなされた者たちは、歴史の闇に葬り去られることなく、正式に日本で最初の海外移民となったのである。
そして、彼らは元年者と称されることになる。
調印と声明の内容は、当事者である日本人移民たちにも広く知らされたが、これにもとづき牧野富三郎は、あらためて上野から移民頭として任命され、彼の任務をしたためた「覚書」が手渡された。
サイオト号で横浜を発った移民たちは、不運にも命を落とした四人を除くと総勢は一五一人だった。そのうち帰国希望者は四〇人であり、残り三分の二以上の者たちが残留を希望したことになる。
富三郎の責任は大きかった。これまでにもまして、移民たちの労働環境や生活状況を把握することが求められ、問題があればハワイの政府に直訴することとされた。月に一度は、オアフ島だけでなく、離島も含めた現地視察に赴くように定められた。
「今後のことは、くれぐれもよろしく頼んだぞ。お前だけが頼りだ」
頭を垂れて上野の言葉を心に刻んだ富三郎は、面を上げると神妙な表情で答えた。
「かしこまりました。精一杯お役目を務めさせて頂きます」
富三郎は、横浜を出発した時の沸き立つような気持ちが再び湧き上がるのを感じていた。仲間たちの相次ぐ死に直面し、目の前の出来事を解決することで精一杯だったが、状況が落ち着いてみると、異国に赴くことを切望した当初の感情がよみがえってくる。
「この島国は……、思いのほか、美しいところだな」
上野は、唐突に言った。
「炎熱下での労働が厳しいことは容易に想像がつくから、物見遊山のような物言いは憚れるが、朝晩に吹く風の心地よさと、雨の後に決まって空に出る虹の美しさは忘れられぬ」
「さようでございますね」
富三郎は、仙之助もこの風を愛したことを思い出していた。密航者として捕鯨船で太平洋を渡り、大変な苦労をしたに違いないのに、俊才の上野と同じように、自分の責務を全うしながら、ものごとの良いところを見抜く眼力を持ち合わせていた。移民たちのまとめ役は彼こそがふさわしかったのに、ここに仙之助がいないことが無念でならなかった。