山口由美
2023年12月17日更新

仙之助編 十四の十

富三郎は、直ちに仙之助への手紙を書くことを決意して、港を離れた。

移民たちの契約終了後、富三郎にも彼らと同じ選択肢が与えられていた。すなわち、このまま帰国するか、ハワイにとどまるか、アメリカに渡航するかのいずれかである。

ハワイに来てからの日々は、困難な出来事も多く、苦労も多かったが、自分なりにそれらを首尾良く乗り切った自負もあった。仲間の死に遭遇し、労働に慣れない者たちを帰国させるまでが無我夢中だったが、こうして一段落してみると、あらためて異国に来ることができた喜びは大きかった。

富三郎は身の振り方をまだ決めかねていた。だが、ここで帰国するという選択肢はない、と考えていた。あとはハワイに残るか、アメリカに新天地を求めるかである。

マムシの市こと、石村市五郎は、契約終了後は、同じマウイのハイク耕地で働く数名の者たちとホノルルに出て仕事を見つけると張り切っていた。

事故がきっかけで偶然、身につけた料理の腕前で身を立てようと目論んでいるらしい。

富三郎は、あらためて自分はハワイで何を身につけたのだろうと考えた。

総代として、移民たちをとりまとめた自負はあるが、ことさらに身を立てるほどの技能が身についた訳ではない。英語も日常の意思の疎通に問題がない程度には上達したが、学校に通うこともなかったので、読み書きはままならず、仙之助ほどの語学力は身についていない。

帰国しないのなら、まだ多少は勝手のわかるハワイにいた方がいいのかもしれない。

富三郎は、机の前で逡巡していた。

遅い昼食を簡単にすませると、思い立ったように筆をとった。

山口仙之助殿
無事に帰国された由、何よりのことと喜んでおります。
ご丁寧な手紙を頂戴し、感激至極にございます。
神風楼の繁盛ぶりも我がことのように嬉しく拝読致しました。
お陰様で、私は達者にしております。早いもので契約満了の日が近づいてきました。
その後は、四三名がハワイでの残留を希望し、四六名がアメリカ渡航を希望し、それぞれに旅券の手配を致しました。
アメリカに渡航を希望する者が多いのは、サンフランシスコで銀の鉱山が見つかり、労働者が求められているとの噂を耳にしたからです。一旗揚げるとみな意気軒昂です。
彼らを見送った後、私もサンフランシスコに渡航する所存です。
彼の地で仙之助殿と再会できるのならば、これほどの喜びはありません。
サンフランシスコに到着したら、また便りを致します。
粂蔵旦那にもよろしくお伝え下さい。

牧野富三郎

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次回更新日 2023年12月24日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

住まいマガジン びお