- 2024年02月18日更新
仙之助編 十五の六
言葉の意味を掴みかねたような表情をしている仙之助を尻目に嘉右衛門は言った。
「ところで、神風楼さん、店を移転する話は承諾してくれるのだろうね」
「もちろんでございます。今日は店の普請のご相談に参った次第です」
「そうか、そうか。神風楼が先に普請を始めたら、岩亀楼も黙ってはおるまい。普請の相談とはどういうことか」
「はい、このたびの新しい店は西洋館の設えにしたいと考えております。異人館の普請にお詳しいと聞きましたので、腕の良い棟梁など、ご紹介頂けたらと思いまして」
「ほう、異人館の遊郭か。異人相手の商売に本腰を入れるのだな」
「はい。英語の看板も掲げて、世界中から異人が押し寄せる店にしたいと思っています」
「頼もしいな。棟梁と資材のことは任せておけ」
「ありがとうございます」
「仙之助を異国にやるのも、商売のためなのか」
「はい、それもあります。当主が英語を話し、異人の商売の流儀に長けておれば、この先、神風楼の商売をもっと手広くすることも出来ましょう。ですが、本人の気持ちも大きいです。捕鯨船で苦労もしたはずなのに、おかしな奴です」
「おかしいとは思わんぞ。顔に相が出ているのだから、こいつの運命なのだ」
「そのようなお言葉を聞くと、ますますもって仙之助をまた異国にやらねばなりませんね」
「よし、伊藤さんにかけあってみよう」
「政府のお偉い方にそんなお願い事が出来るのでしょうか」
嘉右衛門は、自信満々の表情で言った。
「伊藤さんは、私に借りがあるのだよ」
「どういうことですか」
「鉄道敷設の話を最初に持ち出したのは私だからだ。密航して異国に行ったお方だから、鉄道のことはわかっておられたと思うが、時期尚早と尻込みしていた。ならば、私が資金を工面すると話したのだよ」
「ご自分で鉄道事業を始めようとされたのですか」
「そういうことになりますな」
嘉右衛門は悠然とした表情でにやりと笑った。
「でも、このたびの鉄道敷設は……」
「さよう、政府の事業です。私が異人の資本家に資金提供の話を取り付けたことを知って慌てたのだね。私が交渉した異人にかけ合って先に契約を結んだのです」
「でも、それでは……」
「そう、私が出し抜かれたことになる。でも、それでいい。だからこそ、彼らは私の言い分を聞くのですよ。そういう力関係にこそ価値がある。借りがあるとはそういうことだよ」
嘉右衛門は、これ以上、面白いことはないという表情で高らかに笑った。