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- 2025年03月01日更新
仙之助編 十九の九
伊藤が感慨深く語るまなざしの先には、線路脇に積み上げられた石炭の山があった。煤煙で空が暗く濁っている。ペンシルバニア州の工業都市ピッツバーグだった。
彼らが乗車したのは、ここを拠点とするペンシルバニア鉄道の車両だった。一行が目を見張った寝台車は、後に鉄鋼王と呼ばれるアンドリュー・カーネギーが考案したものであり、成功の礎となった事業だった。その後、カーネギーはピッツバーグに製鉄所を創業した。南北戦争後のアメリカは各地でさまざまな産業が勃興していた。
伊藤は、仙之助のジョンセンという呼び名を気に入った。
仙之助もジョンセンと呼ばれることで、捕鯨船時代のことを思い出した。肉体的には厳しい日々だったが、あの経験を経て、仙之助は少年から大人になった。それはまた憧れの存在であるジョンマンと彼をつなぐものでもあった。
「おいジョンセン」
「はい」
「ジョンマンは黄金で一山当てて、人生を切り拓いた。ならば、ジョンセン、お前は牛で人生を切り拓いてみたらどうなのか」
伊藤は真剣な表情をして仙之助の顔を覗き込んだ。
「お前は万次郎と同じように捕鯨船に乗って認められたのだろう。使節団の従者どもにそんなことの出来る強者はいない。三月もすれば、我々は任務を終えて、また太平洋を渡ってくる。サンフランシスコで待っておれば、使節団に加えてやることも出来ぬことではない。だが、それはお前のような者にふさわしいとは思えないのだ」
「…………」
「お前の望みをまたしても拒絶する言い草だと思っているのか」
「いえ、そんなことは」
「正直なところ、厄介な案件を抱えて帰国して、従者を増やすどころの話でないことは事実だ。だが、それはそれとして、お前にしかできないことがあるのではないか」
仙之助と富三郎は顔を見合わせた。
もとより使節団の本隊に加われるとは思っていなかった。豪華な一等の寝台車に乗せてもらい、副使の伊藤博文と話す機会が持てたことだけで僥倖と言うべきだった。
シエラネバダの山中で牛の話を聞いた時には、関わりのないことだと聞き流していたが、富三郎にしても、サンフランシスコに戻って何をするあてもなかった。
シカゴを過ぎると、あたりの風景は茫漠としてくる。
カリフォルニアに向かうユニオン・パシフィック鉄道の起点となるオマハが近づいてきた。伊藤は先発している大久保利通の一行とこの地のホテルで合流する予定だという。
テキサスに向かうのであれば、牛の話を教えてくれた男がそうしたようにここで伊藤たちとは別れるのが得策だった。
なおも逡巡する仙之助と富三郎を乗せた列車はオマハのユニオン駅に到着した。