山口由美
2025年06月08日更新

仙之助編 二十の十一

カウボーイの装備として、もうひとつ欠かせないのがブーツだった。

鐙にぴったりと合うようにかかとの高い、つま先の尖った、いわゆるカウボーイブーツである。一八七〇年代のものは、後の時代に見るような派手な装飾はまだ施されていなかったが、その原型は完成されていた。

ブーツだけは専門店の靴屋で購入する。カウボーイたちが最もこだわり、金をかけた装備だった。丁寧な作りの手縫いのものが好まれた。

ブーツのかかとには、金属製の拍車を取り付ける。これで馬に刺激を与えることで、速く走らせるのである。歩くたびに拍車がジャラジャラと音を立てるのも、カウボーイらしさのひとつだった。

アビリーンの周辺には良質な牧草の生えた平原が広がっていた。テキサスからやって来た牛は、鉄道に積み込まれるまでの間、この牧草地で過ごすことができた。

この牧草地で仙之助の乗馬の稽古をすることになった。

ジョーイは「ドナ」と呼ぶ馬を連れてきた。

昨年の秋、テキサスからの牛のロングドライブで乗ってきた馬らしかった。その昔、お気に入りだった娼婦の名前なのだと言う。

まずは乗馬の心得のある富三郎が、ジョーイの馬に乗った。

ハワイのサトウキビ農園でも、ルナと呼ばれる現場監督は馬に乗っていた。富三郎はハワイに渡航してからも、しばしば馬に乗る機会があったらしい。

当時、テキサスなどの牧場で用いられていたのは、メキシコに入植したスペイン人からもたらされたものを原型とする、鞍の前後の部分が高くなった鞍だった。カウボーイたちはイギリス式の平たい鞍のことを「パンケーキ」などと呼んで馬鹿にした。鞍の後ろが高くなっているので、山岳地帯の傾斜地でも、後ろに倒れる体を鞍が支えてくれる。

ハワイにもカリフォルニアを経由して同じタイプの鞍が伝わっており、手綱の扱い方も同じだったので、富三郎は手慣れた様子で乗りこなした。
「トミー、馬の扱いは問題ないな」

次に仙之助が乗ってみる。手綱と馬のたてがみを持って、鐙に足をかけて、えいやっとまたがる。馬の背からは視線が高くなり、草原の彼方まで見渡せた。

富三郎が手綱の持ち方や扱い方を指導する。
「肘を曲げて、背筋を伸ばして。頭から肩、お尻まで体が一直線になるように。馬を止める時は、手綱を引いて、少し体を起こす。そうそう、あまり強く引かないように」

日本語で指導する様子をジョーイは興味深く見つめていた。
「おう、筋がいいじゃねえか。お前らの言葉はよくわからんが、トミーの教え方がいいんだろうな。馬も牛も同じでな。とにかく脅かしちゃいかん。走って近寄ったりすると、びっくりしちまうからな」

馬をゆっくり歩かせることから仙之助の稽古が始まった。

次回更新日 2025年6月15日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

住まいマガジン びお