山口由美
2025年09月14日更新

仙之助編 二十一の十二

カウボーイとしての仙之助の能力は、なんとか及第点という程度だったが、夜の監視役や馬の世話、料理番のジムの手伝いなど、骨身をおしまず働くので、先輩のカウボーイたちに可愛がられた。捕鯨船の時もそうだったが、仙之助には生来、人の懐に入り込む如才なさがあり、それが彼の長所であり、運命を切り拓く能力でもあった。

一方、武士の出身である富三郎にそうした如才なさはなかったが、カウボーイとしての資質はあったようで、初めてのロングドライブとは思えないほど、ドラッグの役割を誰よりも見事に全うして仲間たちに一目おかれた。

ジムのサワードゥと料理がカウボーイたちを虜にしたのは言うまでもない。トレール・ボスのサムに気に入られた三人は、その後も彼が率いるロングドライブに参加し、一八七二年は暮れていった。

ロングドライブの季節が終わり、彼らはテキサスのフォートワースで一八七三年の年明けを迎えた。その年の冬は穏やかで暖かかった。四月には周辺の草原に緑が芽吹き、例年より早くロングドライブの季節がやって来ることを誰も疑わなかった。

ところが四月十三日、イースターの日曜日、ロングドライブのトレール沿いのカンザスやネブラスカを季節外れの猛吹雪が襲った。

明るく晴れ渡った朝の空は、正午頃に一変した。動きの速い雲と、暗く垂れ込めた黒い雲が頭上でぶつかり、猛烈な風となった。二つの前線の衝突だった。気温も急低下し、暴風は猛吹雪となって、人々や家畜を襲い、開拓者たちの粗末な住居を吹き飛ばした。

南部のテキサスまで嵐はおよばなかったが、その年のロングドライブは予想に反して、例年より遅い始まりとなった。

一八七三年の悪夢はそれだけでは終わらなかった。九月、大陸横断鉄道を構成する主要な鉄道会社のひとつであるノーザン・パシフィック鉄道に資金提供していた金融機関が破綻する。ヨーロッパと北米で、それぞれ複合的な理由で生じた金融危機だった。いわゆる一八七三年恐慌である。

鉄道開発と共に発展してきたロングドライブのトレール沿いの「牛の町」にも少なからぬ影響があった。牛の市場は東部の大都市の需要に支えられていたからである。

ロングドライブ自体の終焉では決してなかったが、加熱したブームが少し冷めた時期だった。サムが率いるロングドライブに影響はなく、いつも通りの賃金が支払われたが、仕事を離れるカウボーイもいた。

一八七三年の秋が終わり、再び冬がやって来た。春にはまたロングドライブが始まるはずだった。だが、恐慌の不安は、一年半あまりの間、ロングドライブを続けてきた仙之助と富三郎を立ち止まらせるきっかけになった。た。この先、自分たちはどうするのか。

酒や博打で浪費することのなかった二人にはそれなりの蓄えもできていた。何か新しいことに進むべき時期なのかもしれない。

一八七三年の年の暮れ、仙之助は、あるとてつもない考えを思いついた。

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著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

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