山口由美
2025年11月23日更新

仙之助編 二十二の九

「ところで、お二人はどういう経緯でカウボーイに?」

浜尾に核心の話を振られて、仙之助と富三郎は顔を見合わせた。先に口を開いたのは富三郎だった。
「私どもは、岩倉具視使節団の副使でおられる伊藤博文殿の従者でした」
「あの使節団の?」
「使節団のことをご存じなのですか?」
「もちろんですよ。でも、なぜ従者からカウボーイに?」

仙之助が返事に窮していると、富三郎がまた先んじて口を開いた。
「仙之助さんは、万次郎殿と同じ捕鯨船に乗っていたのです。そんな経験を持った者はそうはいない。使節団の従者でいるよりも、この国を興隆させている牛で人生を切り拓いてみよと伊藤殿に促されたのです」
「富三郎さん、あなたも捕鯨船に?」
「いえ、私は明治元年にハワイ王国に向かった移民団の総代でした」
「ハワイ王国の移民団?それは存じませんな」
「お国の事業ではありませんでしたから。契約期間を終えて、サンフランシスコに来た次第です。仙之助さんとは旧知の間柄でして、こちらで再会し従者に加えて頂きました」
「従者と申しましても、緊急帰国することになった伊藤殿のお供をした次第でして」

仙之助は、意気揚々と語る富三郎を牽制するように付け加えた。
「牛で人生を切り拓いてみよとは興味深いことを伊藤殿もおっしゃいますね」
「その時は深く考えもせず、好奇心にまかせて牛の町をめざしたのですが、カウボーイになって牛のロングドライブを続けるうちに、伊藤殿の言葉の真意を考えるようになりました。たぶん、それは単に一攫千金ということではなく、何か新しいことを成して、お国の役に立つことではないのかと」
「そのために牛を連れて帰国するということですか」
「はい。テキサスの牛は東海岸や西海岸でも価値があります。日本に持ち帰ればどれだけの価値になるか。その牛で牧畜業を興そうと思っております」
「ほう、牧畜業ですか」

浜尾の顔にぱっと光が差したようだった。富三郎が言った。
「牛のロングドライブをするカウボーイはいくらもいますが、牛のロングクルーズを思いつくなんて、仙之助さんしかいませんよ」

しばらく考え込んでいた浜尾が意を決した表情で言った。
「その……、牛のロングクルーズに私も加えては頂けないでしょうか。牛のことは何もわかりませんが、懸命にお手伝い致します」

思いがけない申し出に仙之助と富三郎は再び顔を見合わせた。

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次回更新日 2025年11月30日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

住まいマガジン びお