山口由美
2025年11月30日更新

仙之助編 二十二の十

少しの間をおいて、即答したのは富三郎だった。
「それは心強い。なあに、牛の扱いは私が教えますよ」
「本当ですか。同行してよろしいのですか」
「もちろんですよ」

仙之助は急な展開に戸惑いながら浜尾にたずねた。
「あの……失礼ながら、学問を諦めてしまわれてよろしいのですか」
「学校が再開する目処もないですし、異国の地で無為の時間を過ごしていても仕方ない。学問は、帰国してもできます」

浜尾はきっぱりとそう言うと、身の回りのものをまとめて旅支度をしてくると言い残し、寄宿先に戻っていった。

オークランドからサンフランシスコに向かう蒸気船は、翌朝一番の便を待つしかなかった。仙之助と富三郎は、牛に水をやり干し草を食べさせた後、桟橋のベンチで夜明けを待つことにした。
「思いがけない展開になったな」

仙之助は富三郎に声をかけた。
「私があの男を引っ張り込んだことを怪訝に思っているのではないですか」
「どうしてそんなことを聞く?」
「戸惑ったような顔をしていたからです」
「いや……
「仙之助さんは正直だから」
「実は、ご相談したいことがあります」
「あらまって何だい?」
「浜尾という男に牛の扱い方を教えて、サンフランシスコで牛を郵便汽船に乗船させる算段がついたら……
「出発前に何かすることがあるのか」
「テキサスに………、戻りたいと考えています」
「えっ?」

仙之助は、富三郎の言葉の意味することがうまく飲み込めずに絶句した。
「そんな……、何のためにここまで牛を連れてきたんだ」
「仙之助さんはあの男と一緒に牛を連れて海を渡って下さい」
…………
「ずっと考えていたんです。自分にはカウボーイが性に合っていると。でも、仙之助さんをひとりでおいて行く訳にはいかないと思っていました。ところが、思わぬ旅の道連れがあらわれた。最後にわがままを言わせてもらえませんか」

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次回更新日 2025年12月7日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

住まいマガジン びお