- 2022年12月04日更新
仙之助編 十の五
一八六八年五月十七日の朝が明けた。
サイオト号のマストには、青い枠が白地を囲んだ旗、二十四時間以内に出港することを意味するP旗が掲げられていた。
朝になっても神奈川裁判所外国事務局判事の寺島からの返事は届かなかった。
ヴァン・リードは、出港する覚悟を決めた。
サイオト号に乗船し、移民たちにこれまでの交渉の経緯を話し、下船したい者は好きにするようにと伝えた。待ちぼうけをくらった十日の間に下船した者はいたが、出港の当日に下船する者は誰もいなかった。
午後二時、ついにサイオト号は碇を上げた。
桟橋ではヴァン・リードが一人、大きく手を振っていた。
「タッシャテオレヨ」
甲板では、それに応えて牧野富三郎が同じように大きく手を振った。
仙之助が捕鯨船クレマチス号で出発してから、およそ一年がたとうとしていた。
富三郎は、送迎の宴での仙之助を思い出していた。長いようで短い一年だった気がする。いよいよ自分も待ちに待った船出だと思うと武者震いがした。
甲板でいつまでも桟橋を見ているのは富三郎と、数少ない女たちと、ほかに何人もいなかった。揃いのお仕着せを与えられなかった彼女たちは、地味な木綿の着物姿で、さすがに感傷を覚えるのか涙ぐむ者もいた。
たいていの男たちは、むしろ浮かれていた。どこからか、鼻歌も聞こえてきた。ようやく出発できた安堵もあったのだろうが、母国への未練など持ち合わせない者が多かったのだ。貧しい育ちの次男、三男や、何らかの事情を抱えて出稼ぎを決意した者ばかりだった。
彼らが、後に「元年者」と呼ばれることになる。
五月十七日は、旧暦の慶応四年四月二十五日である。明治に改元されるのは九月八日、西暦の一八六八年十月二十八日のことだ。一連の出来事は、慶応四年になるのだが、新政府に政権が変わったことで運命を翻弄された彼らは、まさに明治という時代の夜明けに遭遇した冒険者たちだった。
富三郎は、いつまでも甲板で海を見ている男に声をかけた。
風邪を引いたとかで、出港の二日前に乗り込んできた佐久間米吉という男だった。読み書きが達者で学があった。
「米吉さん、あんたの故郷は房州だったな」
「房総沖を通るのは夜半になりますかね。いやあ、無事に出港できて良かった。あの異人さんはずっと幕府と交渉しなさっていたのに、間際になって横浜に官軍がやってくるとはね。出港が差し止められるという噂には、ずいぶんやきもきしましたよ」
サイオト号は、初夏の日差しを浴びて、江戸湾を滑るように航行した。観音崎を過ぎると外洋に出たが、まだ海は穏やかで、最初の夜は静かに更けた。