- 2022年12月11日更新
仙之助編 十の六
サイオト号は、横浜を出港した翌日から嵐に遭遇した。
強い風が吹き、雨が降り始めた。波も次第に高くなっていく。
小さな船体は木の葉のように揺れた。
嵐は三昼夜続いた。移民たちはみな船酔いに苦しめられ、青い顔をして船内の蚕棚のベッドで寝ていた。船に慣れた中国人のコックは、時化の間もバケツの底を叩いて食事の時間を知らせたが、誰一人として食事に出向く者はいなかった。
五人の女たちのうち、二人が妊婦で、さらに一人は臨月だった。
彼女たちが一番つらそうだった。大きな腹を抱えて、死人のようにのびていた。
薄暗い船内には、神仏に祈る声と、苦しみもだえる唸り声とが響いた。
出港四日目の朝、ようやく雨が止んだ。まだ風は残っていたが、雲が途切れて青空が見えた。一人、また一人、ほっとしたような表情で船室から甲板に出てきた。
翌五月二十二日は、程よい順風が吹く晴天に恵まれた。
旧暦では慶応四年、閏四月の朔日だった。月の満ち欠けで月を決める太陰暦では、三年に一度、一ヶ月の誤差が生じ、一年が十三ヶ月になる。慶応四年はその年にあたっていた。
「無事に嵐を乗り切れたのは、神仏のご加護があったからに違いない」
嵐の間、熱心に念仏を唱えていた吉田勝三郎、通称カツが声をあげると、そうだ、そうだ、と賛同の声があがった。
「だけど、天竺にも俺たちの神様がいるとは限らんぞ。ご加護のお礼は早々にしておこうじゃないか」
富三郎と同郷の宮崎初吉が言った。
「お礼は何をすればいいんだ」
カツが答えた。
「チョンマゲを切り落とすことにしよう。俺たちは生まれ変わって新天地に行くんだ」
思わぬ提案に、誰もが黙ってしまった。言葉をつないだのは富三郎だった。
「よし、いい案じゃないか。みんなを甲板に呼んでこい。俺たちは一蓮托生だ」
呼びかけに応じなかったのは二人だけだった。そのうちの一人は房州出身で、熱心に航海日記をしたためていた佐久間米吉だった。思慮深い男だけに、思うところがあったのだろう。
ハサミや小刀を持って集まった男たちは、二人ずつ向き合って、チョンマゲを切り落とした。長年、当たり前のように頭に載せてきた身だしなみを切り落とすのは勇気がいったが、嵐を乗り切ったことが、彼らの気持ちをひとつにしていた。
切りとったチョンマゲは海に投げた。
青い海に黒い毛髪の束がいくつも浮かんでは消えた。
誰からともなく、海に向かって手を合わせた。遠ざかっていく日本と、日本の神仏に対しての惜別の祈りだった。カツの唱える念仏の声が波と風の音にかき消されていく。
閏四月の朔日は、元年者たちにとって生涯忘れられない日となった。