- 2023年06月25日更新
仙之助編 十二の九
「あれがコウラウ山脈だ、めざすコウラウ耕地は、その麓にある」
仙之助は、地図で調べた位置関係を頼りに説明した。
屏風のように山の稜線が縦に連なる独特の地形は、ウィルの家にあった銅版画でも見たことがあった。馬の遠乗りが好きな彼は、ヌウアヌ・パリに足を延ばすことも多かったようで、この絶景のことをよく話していた。
コウラウ山脈は、かつて捕鯨船でカウアイ島の沿岸を航海した時に見たナ・パリ海岸にも似ていた。初めての風景だったのに、既視感があったのはそのせいだった。
だが、絶景を前にしても、移民たちの意気は今ひとつ上がらなかった。
コウラウ山脈の人を寄せ付けないような美しさは、物見遊山であれば感動するが、そこが自分たちの生活の場になると言われると、むしろ不安が先立つ。
その不安を駆り立てるように、強風が吹きすさぶ。
「あっ」
横浜を出航する時に支給された揃いの三度笠がひとつ、風に飛ばされた。
移民たちの多くは、ホノルルに着いてから支給された帽子と洋服を身につけていたが、いまだ旅立ちの三度笠と印半纏姿の者もいた。
ヌウアヌの風に吹かれ。上空高く舞い上がった三度笠が山脈の方角に消えていった。
沈んだ雰囲気をかき消したのは、またしても市五郎だった。
「凄いなあ、まるで天下の険ですね」
「天下の険……」
「仙太郎さん、箱根ですよ」
「ああ、天下の険の箱根越えか。お前は行ったことがあるのか」
「はい、相模国の小田原におりましたから」
「この風景は似ているのか」
「山のかたちは違いますが、峠道の険しさは似ています。箱根八里の道のりでも、山が急に開けて、海ではありませんが、芦ノ湖が見えるところがあって感動しました」
「そうか」
「箱根は山が険しいだけじゃない、温泉があっていいところです」
「そのようだな。横浜の異人たちにも大層人気がある」
「コウラウにも温泉があればいいのに」
「おいおい、物見遊山ではないのだぞ」
市五郎は年相応の無邪気な笑顔を見せた。
ヌウアヌ・パリの峠を越えても、しばらくは曲がりくねった山道が続いた。やがてタロイモ畑の広がる集落が見えてきた。オアフ島の裏側に到達したのである。
海岸沿いの道に入れば、めざすコウラウ耕地はもう近い。仙之助は、最後の休憩地として、紹介状をもらっていたアフイマヌのカトリック教会をめざした。