- 2023年11月19日更新
仙之助編 十四の六
ウミウミ松と親しくなったマムシの市は、一旗揚げる元手を貯めるため、マウイ島のハイク耕地で懸命に働いていた。ところが、ある日、思わぬ事故に遭遇してしまう。工場の最新式の機械に彼の右足が挟まれてしまったのだ。
「うあーあ、ああーあ、い、痛い、痛い。助けてくれ」
必死の叫びが工場に響き渡った。
いち早く気づいたのがウミウミ松だった。
「エマージェンシー、エマージェンシー」
機転を利かせて、工場全体に緊急事態を知らせたおかげで、マムシの市は、危うく全身が巻き込まれる前に助け出された。
急死に一生を得たものの、骨折した右足は重傷だった。
幸いだったのは、上野使節が取り決めをかわした以降の事故だったことだ。工場長は、医者を呼んで手当を受けさせ、まもなく、ホノルルからも牧野富三郎が駆けつけて、工場内での事故であることから、休業中の生活保障を交渉した。
しばらくして、何とか動けるようなったが、サトウキビ・プランテーションの過酷な労働にはすぐに復帰できない。そこで、近隣で大工をしていたワーケン夫妻の家で料理人として雇ってもらうことになった。
もちろん、マムシの市に西洋料理の心得などない。だが、コウラウ耕地で仲間が亡くなった後、富三郎と仙之助がしばしば訪ねて来ていた頃、スクールボーイの経験がある仙之助から西洋料理の基本を教わったことがあった。当時はそれを職業にすることなど、考えもしなかったが、持ち前の好奇心の強さで興味を持った。料理を覚えれば、手に入る材料で少しでもましなものを食べられるという思いもあった。コウラウ耕地の中国人コックが作る料理は油臭さが鼻をついたが、仙之助が作る西洋の卵料理は美味しかった。
ワーケン夫妻の話は富三郎を介して持ち込まれた。
「下働きならともかく、いきなり料理人は難しかろう」
難色を示す富三郎に、マムシの市は食い下がった。
「大丈夫です。仙太郎さんから西洋料理の手ほどきを受けています。たいしたものは作れませんが、朝食の卵料理なら任せて下さい」
「仙太郎……、そうか。あいつから習ったのか」
一時期、ホノルルで同居していた頃、朝になると西洋式の卵料理をよく作ってくれたことを富三郎は思い出した。
「仙太郎仕込みなら、まあ、なんとかなるか」
「はい、大丈夫です。ぜひお願いします」
マムシの市としては、プランテーションの労働に戻るより、住み込みの料理人になれるほうがずっといいと思ったのだ。もっとも、これが彼の人生を決定づける出来事になるとはこの時はまだ、予想もしていなかった。