山口由美
2024年03月24日更新

仙之助編 十五の十

欧米使節団の特命全権大使に任命された岩倉具視は、海外経験の豊富な伊藤博文を副使に推した。これを受けて、伊藤は大任すぎると、参議の木戸孝允、大蔵卿の大久保利通を推薦し、自身は外務少補の山口尚芳ますかと共に補佐にまわると告げた。

その提案を受けて、木戸、大久保、山口と伊藤の四名が特命全権副使に任命された。結果、明治維新のいわゆる三傑のうち、政府に残留するのは西郷隆盛のみとなり、首脳陣が大挙して国を留守にすることとなったのである。

派遣の目的は三つに集約された。第一が、新たに誕生した天皇を中心とする国家として、幕末に条約を結んだ十四カ国、すなわち米国、英国、フランス、ベルギー、オランダ、ドイツ、ロシア、デンマーク。スウェーデン、イタリア、オーストリア、スイス、スペイン、ポルトガルの各国に挨拶回りをすることだった。公家出身の岩倉具視が正史に選ばれた理由でもある。最終的にスペインとポルトガルは割愛されたが、使節団は十二カ国を巡っている。

第二が、使節団派遣の最大の理由である不平等条約の改正だった。出発時点ではいきなりの条約改正は困難との認識で、相手国の要望を聞く予備交渉の予定だったのだが、最初の訪問地である米国で思わぬ熱烈な歓迎があり、米国側にも条約改正への思惑があったことから、急遽、本交渉を始めることになった。ところが、本交渉に必要な天皇の委任状がないことを知り、伊藤と大久保が委任状を受け取りにいったん帰国してする異例の事態になった。使節団は、その間、ワシントンで待機することになり、日程が大幅に延びた。全日程が一年九ヶ月にも及んだ理由でもある。

第三が、欧米の実情を視察調査し、国としての指針を探求することだった。政府の首脳陣が大挙して出かけた理由でもある。

使節団は大きく分けて三つのグループから構成されていた。

まずは正史の岩倉具視と、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文、山口尚芳の四人の副使、さらに随員からなる使節の本隊である。

次が各省派遣の理事官と随員である。条約改正の交渉のため、本隊の米国滞在が長引くと、彼らは別行動で各国の視察に赴いていった。本隊にも一部現地在住者が加わったが、このグループには各省の後発隊も含まれていた。

さらに留学生と正史、副使の従者たちがいた。岩倉使節団の留学生というと、津田梅子に代表される五人の女子留学生が有名だが、このほかにも官費、私費を含め多くの男子留学生が使節団と共に渡航した。

これらを全て含めると、使節団の総勢はおよそ一五〇人と言われる。

政府からの任命でない者が使節団に加わる可能性としては、留学生か従者ということになる。政府は、正史の岩倉具視に対しては二名、四人の副使に対しては一名を正式の従者として渡航費を負担するとしていた。だが、結果的に岩倉具視には八人の従者が随行することが認められた。出発直前まで、従者や留学生の選定は混沌とした。

▼ 続きを読む

次回更新日 2024年3月31日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

住まいマガジン びお