- 2024年04月28日更新
仙之助編 十六の三
明治四年十一月十二日の朝は、よく晴れて冷え込んだ。
西暦の一八七一年十二月二十三日は、異人たちの祝祭日、クリスマスの二日前だった。
午前八時、岩倉使節団の一行は神奈川県庁に集合し、出発の訓示があった後、十時に揃って馬車で波止場に向かった。
一行が乗船する外輪船のアメリカ号は沖に停泊していた。波止場に着岸するには船が大きすぎるためだった。彼らは波止場で馬車を降りると小型の蒸気船に分乗した。
一群の中で、ひときわ目を引いたのが、振り袖姿の女子留学生たちだった。いずれも少女の年齢で、なかでも数え八歳の津田梅子はまだほんの幼子だった。男子留学生にも少年はいたが、少女たちのいたいけな姿に人々は目を潜めて、口々に噂話をした。
仙之助は、見送りの人たちでごった返す西波止場をさけて、伊勢山に登った。横浜の総鎮守である伊勢山皇大神宮の境内からは港が一望できたからである。
小さな蒸気船が何艘も沖に浮かぶ外輪船に向かっていく様子をじっと見ていた。
人の顔までは判別できなかったが、一行の中に林之助もいるに違いなかった。
伊藤博文に直談判してきっぱりと断られ、使節団の一員になることを諦めた時には、アメリカに渡航する夢も一度は遠のいた。だが、不思議な巡り合わせで、岩倉の従者だという山口林之助と出会ったことで、運命の歯車が再び廻り始めた。
さらに仙之助の背中を押したのが、牧野富三郎から届いた手紙だった。
林之助と出会った後、神風楼に戻ると、再び郵便が届いていたのである。
サンフランシスコと行き来しているアメリカ号で届いた手紙が、仕分けに手間取って、ようやく届けられたものらしかった。
富三郎はサンフランシスコに無事到着し、ハワイから渡米した移民たちの職業斡旋を生業としていると、住所番地と共に記してあった。
林之助との出会い、富三郎からの手紙。
岩倉使節団が出発する前日にもたらされた二つの出来事は、偶然だとは思えなかった。
捕鯨船でハワイに向かった時は、仙太郎の思いを抱いての旅立ちだった。
そして今、サンフランシスコで待つ富三郎と、サンフランシスコに旅立っていこうとする林之助に誘われている。
それにしても、同じ山口姓のよく似た名前の人物に巡り会う偶然は何なのだろうと、仙之助は思った。よく似た名前の彼らは、仙之助の分身のように、進む道を示してくれる。
ほんの一瞬の出会いでしかなかったのに、林之助との出会いにも、かつて共に学び、共に夢を見た仙太郎との出会いに似たものを感じていた。
行かなければ、何としても行かなければ。
「おおーい、おおーい、待っていろよ」
仙之助が遠くなっていく蒸気船の船団に向かって叫んだ瞬間、港を見おろす砲台から使節団の門出を祝う一九発の祝砲が空に響いた。