- 2024年05月05日更新
仙之助編 十六の四
使節団の一行を乗せた小さな蒸気船は、次々と沖合に係留された外輪船に横付けさた。
伊勢山からは遠すぎて、乗船する彼らの詳細は見てとれなかったが、仙之助は、憧憬と焦燥の入り交じった感情を抱きながら、いつまでもその様子を眺めていた。
神風楼で伊藤博文に出会うまでは、使節団の一行に加わるなんて、想像もしなかったが、運命の歯車がひとつ違えば、現実となった可能性もあったと考えるようになっていた。もし、伊藤が複数の従者を許される立場であれば、今頃、外輪船に乗っていたかもしれない。
仕立屋で、同い年の山口林之助に出会ったことも、使節団を仙之助に身近なものとして引き寄せた。かつて亡くなった仙太郎の思いを抱いて、その分身として、彼の名前を名乗って海を渡ったように、今度は先に海を渡る林之助に、自分の分身であるかのような思いを重ねていた。
追いかけていかなければ。追いかけていかなければ。
外輪船を見つめているうちに、憧憬の感情は小さくなり、焦燥も漠然としたものから、一刻も早くことを起こさなければという気持ちに変わっていった。
まず何をすべきなのか。仙之助は、頭の中を整理した。
使節団の一行には加われなかった。だが、その後を追いたい。
政府のお役人たちで結成される使節団の後発隊に加わるなど、従者になるより難しい。仙之助にとってはあり得ない選択肢だった。
ならば、自力で海を渡らなければならない。
捕鯨船に乗せてもらうことは容易だが、今度の目的地は、捕鯨の拠点であるハワイではなく、サンフランシスコである。捕鯨船に乗ったところで到着できるあてはない。
横浜とサンフランシスコは定期航路で結ばれている。
養父の粂蔵に頭を下げて旅費を工面して貰い、密航ではなく、正式に渡航するのが順当な方法なのだろう。
定期航路の客船には、主に中国人労働者が乗っている「スティアリッジ(Steerage)」と呼ばれる下等船室があることを仙之助は知っていた。
「舵を取る」を意味する「スティア(Steer)」を語源とする説が一般的で、操舵室のある船尾に下等船室がおかれたことからこう呼ばれた。船底に位置し、倉庫も兼ねたことから倉庫を意味する「ストレージ(Storage)」から派生したとの説もある。
使節団の一行が乗ったのであろう一等や二等船室ならいざ知らず、スティアリッジであれば、法外な料金ではないはずだ。捕鯨船での労働の日々を思えば、どんな船旅にも不安などなかった。太平洋を渡ることができればそれでいい。
高島町に移転してから、神風楼の羽振りはよかった。養子の立場で、これまで金の無心は控えてきたが、今回ばかりは意を決した。
そうなれば早いほうがいい。居ても立ってもいられなくなった仙之助は、動き始めた外輪船が水平線の彼方に消えるのを待つことなく、伊勢山を駆け下りた。