- 2024年08月04日更新
仙之助編 十七の四
翌朝、興奮冷めやらぬまま目を覚ました富三郎は、使節団の投宿先であるグランドホテルに忍び込む方法をないかと思案を巡らせた。
思いついたのは、団員たちと同じ紳士然とした服装を整えることだった。
昨夜、バルコニーで挨拶をしていた団長の威厳のある和服をサンフランシスコであつらえるのは無理だが、幸い、そのほかの団員たちは洋装だった。
サンフランシスコにいる東洋人と言えば、中国人の労働者ばかりである。昨夜の大歓迎で日本の使節団の来訪は知れ渡っている。紳士のような服装をした東洋人がいれば、誰もが使節団の一行と疑わないだろう。
富三郎は、経験上、白人たちが東洋人の顔を見分けるに長けていないのを知っていた。
使節団の一行は、なかなかの大所帯である。富三郎が彼らに紛れて入館しても怪しまれないのではないか。
早速、富三郎は顔なじみの中国人の仕立屋から、紳士が着用する上着とシャツ、ズボンの一揃いを借り受けた。
服装が整うと、不思議と気分もあがる。下働きをして日銭を稼ぐ日常から離れて、移民団の総代として、政府とやりとりしていた頃の誇りがよみがえってきた。
グランドホテルのあるマーケットストリートの界隈まで行ってみると、なんと団員らしき数人の若い日本人がホテルの玄関から出てくるところに出くわした。
馬車の出迎えが来ている訳ではない。
前日に到着したばかりの彼らは、休養日なのかもしれない。
彼らは、いちようにしばらく立ち止まったまま、あたりをキョロキョロと見まわしていた。
富三郎は、意を決して彼らに近寄った。
団員たちも富三郎の姿に気づいたようだった。怪訝そうに顔を覗き込んでいる。
富三郎は帽子をとって、頭を下げた。
すると、相手の方から話しかけてきた。
「はて、船上では見かけなかったお顔のように拝察しますが」
団員のひとりが言った。
富三郎はしばらく逡巡した後、腹をくくって答えた。
「はい、こちらに住んでいる日本人にございます」
すると、服装が功を奏したのだろう。怪しむ様子もなく、むしろ彼らの顔が明るくなった。アメリカには幕末以降渡航した留学生がいることは彼らも情報として知っていた。例えば、岩倉具視大使の息子もシカゴに留学していた。
「では、このあたりの地理にも通じておられるのか」
「は、はい、もちろんでございます。少しこの界隈をご案内致しましょうか」
「かたじけない。それは渡りに船だ」
彼らの興味は、富三郎の素性よりも通りの風景に向かっていた。