山口由美
2024年09月29日更新

仙之助編 十七の十二

富三郎と仙之助が大陸横断の旅に出発したのは、サンフランシスコに到着して五日後の一八七二年二月二十二日だった。

岩倉使節団の一行は一等寝台車を借り切ったが、彼らにそんな贅沢ができないのは言うまでもない。仙之助は養父の粂蔵から貰った旅費があり、富三郎も多少の蓄えがあったが、無駄使いはできないと、ワシントンまで三等車の切符を購入した。

大陸横断鉄道の起点となるオークランド駅まで、サンフランシスコ湾を蒸気船で渡る。大海原とは違う、穏やかな内海の航海に仙之助は、新たな旅の始まりを実感していた。

オークランドの波止場は長い桟橋が特徴で、ここから鉄道に乗り込む。

三等車は固い木製のベンチが並ぶ簡素な車両だった。

鉄道沿線のどこかに働きに行くのだろう、簡素な服装の労働者が多かった。中国人らしきアジア人もちらほらいる。何組か家族連れの姿もあった。

ここでも紳士服姿の仙之助は目を引いた。駅員の一人が話しかけてくる。
「おや、学生さんかい?どこの国から来た?」

身なりがいいのに倹約していることから留学生と思ったのだろう。仙之助は、最初の問いかけは無視して、二番目の質問にだけ答えた。
「日本から来た、日本人だ」
「そうか。日本人か。雪で足止めされた一行の国だな」
「雪で足止め?何があったのか」
「二週間少し前に大雪が降って、鉄道がソルトレイクシティで止まったちまったんだ」
「ソルト?塩の湖とは何だ?」
「ソルトレイクという湖の畔にある都市さ。日本人のお偉いさん方の一行が乗っていて、そこに足止めになっていたらしい。お前さんたちは運がいい。やっと雪が止んで、今日から大陸横断鉄道が通常運行に戻ったところだ」
「じゃあ、日本人の一行は今日まで、ソルトレイクとやらにいたのか」
「昨日までは鉄道が動いていないんだから、そういうことだろうよ」

仙之助と富三郎は、思わず顔を見合わせた。

この大雪は、もしかしたら千載一遇のチャンスなのかもしれない。無言のうちに胸が高鳴るのを感じていた。使節団を追いかけるという無謀な冒険は、彼らの到着より前に使節団が欧州に向けて旅立ってしまえば意味をなさなくなる。少なくともそれは回避できる。

条約改正交渉にどれだけの日数を要するのかはわからない。仙之助と富三郎はもちろん、従者たちも、さらに言えば使節団の正使や副使たちでさえ、わからなかった。

だが、仙之助と富三郎にとっては、間に合うということがすべてだった。ワシントンで追いつける、いや、彼らが途中下車するのなら、ワシントンで待ち受けることができる。

その時、腹の底に響くような汽笛が停車場に響き渡った。大陸横断鉄道は、シエラネバダ山脈に向けて力強く出発した。

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次回更新日 2024年10月6日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

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