山口由美
2024年10月13日更新

仙之助編 十八の二

首都ワシントンで岩倉使節団の宿舎となったのは、アーリントン・ホテルだった。一八六八年創業の最も格式あるホテルで、ホワイトハウスにも近い好立地だった。

サンフランシスコのような市民総出の熱狂はなかったが、数日後に迫った大統領の謁見に団員たちの気持ちは浮き立っていた。

第十八代大統領ユリシーズ・C・グラントは、南北戦争を勝利に導いた北軍の将軍であり、終戦まもない一八六九年に大統領に就任していた。

大統領謁見は、使節団にとって第一の目的である主要国への挨拶回りという意味において、初めての重要な任務だった。正使の岩倉具視もシカゴ以降、洋装にあらためていたが、謁見では団員全員が和式の正装で臨むことになった。すなわち、大使副使は公家の正装である衣冠束帯、書記官たちは武家の正装の直垂ひたたれである。その後の饗宴では、全員が洋礼装のディナージャケットを着用することに決めた。

伊藤博文だけは、もうひとつの目的に目が向いていた。不平等条約の改正である。

出発時は、本格的な交渉を想定していなかったものの、開化論者であった伊藤は、交渉の進展を常に心に秘めていた。各地での厚遇と、大雪で足止めされた際、使節団の総意をまとめた文書を起草したことで、思いは強くなっていた。

自分と同じ幕末の密航留学生であり、海外事情に長けた森有礼の意気軒昂な表情を見て、伊藤はあらためて心に炎が点るのを感じていた。

伊藤は連日、森を宿舎のアーリントン・ホテルに呼んで打ち合わせを重ねた。謁見や饗宴といった儀礼的な接遇だけでなく、条約改正交渉のための実務的な会合の設定を森に依頼したのである。幸い、率直な性格と積極性が評価された森は、着任早々から有能な外交官として認められていた。とりわけグラント政権の最長老であるハミルトン・フィッシュ国務長官に気に入られていた。

ホワイトハウスでの大統領謁見は、一八七二年三月四日の十二時から行われた。

グラント大統領との謁見

シャンデリアの輝く壮麗なホールに和装の使節団が並ぶ姿は、当地の新聞にも挿画入りで大きく報じられた。ワシントンでも少なからず日本の使節団は話題になった。

歓迎晩餐会は、一週間余りあけて、同じくホワイトハウスで三月十二日に開催されることになり、二日後の十四日に返礼の晩餐会を宿舎のアーリントン・ホテルで催すことになった。

フィッシュ国務長官との会合日程は、歓迎晩餐会の前日に決まった。

条約改正交渉を先導したのは伊藤と森だった。正使の岩倉具視も副使の木戸孝允、大久保利通も外交には疎かった。若く外国経験豊富な二人が言うのであれば、よかろうということになった。国内にいたら、また状況も違っていたのかもしれない。だが、各地での熱狂的な歓迎ぶりは、彼らの気持ちを押すのに充分なものがあった。

フィッシュ国務長官も、条約改正交渉の申し出を受け入れた。

副使の最年少で三一歳の伊藤と二五歳の森は、幕末以来の懸案である不平等条約の改正という重大任務に高揚していた。

次回更新日 2024年10月20日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

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