山口由美
2024年11月17日更新

仙之助編 十八の七

岩倉使節団と思われる一行は、仙之助と富三郎が乗る三等車の前方方向に連結された一等車の方向に消えていった。まさかの展開に二人は顔を見合わせた。

一等車の車両に駆け込みたい衝動にかられたが、三等車と行き来は出来ない。

呆然としている二人の耳元に、突然、日本語が聞こえてきた。

英語ではない。どこか見知らぬ国の言葉かとも思ったが、そうではない。

振り返ってみると、和服姿の日本人の一団だった。小さな子どももいる。だが、先ほどプラットフォームで見かけた貴婦人に引率された洋装の少女たちとは様子が違う。いったい彼らは何者なのだろう。

仙之助と富三郎を見た彼らもまた、驚いた表情でぽかんとしている。二人は言葉を発した訳ではなかったが、服装などから中国人ではないと直感しているようだった。

意を決した仙之助が口を開いた。
「もしや、日本のお方でいらっしゃいますか」

年長者とおぼしき男が答えた。
「こりゃあ、驚いた。こんなところで、またもや、日本人に会うとはねえ」
「またもやと言いますと……
「お偉方のご一行ですよ。つい先ほど、駅の構内でお目にかかりやした」
「私どもも車窓からお姿を拝見しました。何か話をされましたか」
「めっそうもない。うちらのような軽業師とは身分が違いまさあ。土下座こそしませんでしたが、お通りになる間、ずっとお辞儀をしておりました」

男の隣にいた年かさの女が口を開いた。
「しかし、こんな奇遇なことがあるかねえ。お前さんたち、どちらまで行きなさる?」
「私どもはワシントンまで参ります」
「これまた驚いた。私らも次の興業はワシントンでさあ」
「本当に奇遇ですね」
「ワシントンにはどのような御用向きで?」

仙之助と富三郎は顔を見合わせた。岩倉使節団を追いかけることしか考えていなかった彼らは、そう問われると返事に窮してしまった。富三郎は、しばし間をおいて答えた。
「私どもは商人です。新しい商売を探しにきました」
「ほお、なるほど。ならばパリッとした身なりが必要ですな」
「ですが、旅費は倹約しておりまして。ところで、皆さま方は?」

彼らはお互いに目を見合わせると、英語で決め口上を言った。
Ladies and Gentlemen, We are Royal EDO Troupe(紳士、淑女の皆さま、私どもはロイヤル江戸劇団でございます)」

すると、他の乗客たちも振り向いて一斉に拍手が沸き起こった。口笛を吹いてヤジを飛ばすものもいる。車内は、瞬く間のうちにロイヤル江戸劇団の陽気さに包まれた。

次回更新日 2024年11月24日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

住まいマガジン びお