- 2024年12月29日更新
仙之助編 十九の一
一八七二年三月十四日、アメリカ国務省にて、二回目の条約改正交渉が行われた。
岩倉使節団の副使として伊藤博文は、天皇の委任状をとるために帰国する覚悟を決めてはいたが、それでも一縷の望みをかけて、フィッシュ国務長官との会談に望んだ。
フィッシュは最初の時と同じく、友好的な笑顔を浮かべつつ、穏やかな口ぶりで、しかし頑として、一切の譲歩は受け入れなかった。平行線の会談は、あっけなく終了した。
その夜は、宿舎のアーリントンホテルにて、歓迎祝賀会の返礼の饗宴が開催されることがかねてから決まっていた。その直前に伊藤と大久保の従者たちが呼ばれた。二人の日本へのトンボ帰りに際し、従者の処遇をどうするかということだった。
頭を垂れ、固唾をのんで聞き入る彼らに言い渡されたのは、ほかの団員たちと同じく、留守の本隊に残るようにとの命令だった。途中帰国を余儀なくされることを懸念していた山口林之助たちはほっと胸をなでおろした。
大久保には、サンフランシスコまで大使館の書記官が同行することになり、一足遅れで出発する予定の伊藤にも同じく、別の書記官が同行することになった。
当初、伊藤は同行などいらぬと言ったが、一国の代表をひとりで行かせる訳にはいかないと周囲が説得した。山口林之助が仙之助のことを話題に出したのは、そうしたやりとりの最中だった。伊藤は、興味津々の表情で林之助にたずねた。
「お前が会ったその男、横浜出身の山口仙之助と言ったな」
「はい、英語の達者なお方です」
伊藤は、神風楼で会った不思議な若者のことを思い出した。
「その男、捕鯨船に乗ったと申していなかったか」
「捕鯨船ですか。はて、そのような話は聞いておりませんが」
「そうか、横浜からワシントンまで自力でやってきて、使節団の従者に名乗りをあげるとはただ者ではないな。面白い。会ってやろうじゃないか」
「はい、申し伝えます」
日本帰国が決まって、伊藤はいささか破れかぶれの心境だった。大陸横断の旅では大雪に遭い、さんざんな目にあわされていた。この数日はだいぶ春めいてきて、もう大雪の心配はないだろうが、大平原が延々と続く単調な旅をもう一度するのは気が重かった。
往路の道中では、条約改正の交渉の準備に余念がなかったが、日本の留守政府の態度は、予測不能であり、事前準備をしたところでどうなるものではない。アメリカ側との条約改正よりも厄介だった。考えれば考えるほど、気が重くなる。
ならば、せめて気の紛れる話し相手がほしい。書記官と政治向きの話をしても気が滅入るだけに違いない。伊藤は、捕鯨船に乗ったことがあると突然切り出して従者に名乗り出た、遊郭の倅のきらきらと輝くような瞳を思い出して、ふっと笑った。
「明日の夜はスペイン在留公使の招宴があって何かと気ぜわしい。明後日、そう、明後日の朝、アーリントンホテルに来るように伝えなさい」