山口由美
2025年02月09日更新

仙之助編 十九の六

ユニオン駅を発車してまもなく、ボーイがやってきて、長椅子をつなげてシーツを敷き、寝床を作ってくれた。柔らかな枕と布団は心地よかったが、仙之助はなかなか寝付けなかった。それでも明け方前には寝落ちしたらしい。朝陽を感じて目を覚ますと、目の前の伊藤博文はすでに寝床を片付け、椅子に座っていた。
「おはようございます」

仙之助は、慌てて飛び起きた。富三郎が車両の反対側から歩いてきて言った。
「朝食の用意ができたようです」

寝台車の後ろに連結された食堂車はこれまた豪華なしつらえだった。三人は卵料理とトーストの朝食を頼んだ。運ばれてきたコーヒーを一口飲むと、伊藤は口を開いた。

食堂車

「仙之助、お前に聞きたかったことがある。執拗に海を渡る理由は何なのだ」
「最初に捕鯨船に乗ったのは、ハワイで移民団を迎えるためでした」
「例の横浜のあやしい異人がとりまとめた話か」
「いや、ユージン・ヴァンリードさんは……

伊藤の発言を取り消そうとした仙之助は、富三郎の顔を見て口をつぐんだ。ヴァンリードの名前は、いまだに二人の間で確執になっていた。
「富三郎は、その移民団の総代だったそうだな」
「はい、私も異国への憧れがございました」
「移民渡航のごたごたは新政府の役人が派遣されて収拾したと聞いているが、なぜお前は帰国しなかったのか」
「契約終了した移民たちは帰国するか、ハワイに残るか、メリケンの本土に渡るか、選択することができました。契約を全うしたのは、体も頑強でやる気のある若者で、帰国せずに一旗揚げることを望む者も多かったのです。ハワイに残る者たちは次の仕事に伝手を持っていましたから世話はありません。ですが、新天地をめざす者たちは面倒を見てやらなければという気持ちがありました。それで一緒に海を渡ってきたのです」
「仙之助も一緒にこちらに来たのか」
「いえ、私はいったん帰国しておりました。その……、捕鯨船で渡航した密航者でしたから、新政府のお役人に見つかるわけにはいかず……
「ハッハハハ。そうだったな、お前は正真正銘の密航者だったな。だが、移民団も維新前の密航者だったのではないのか」
「ヴァンリードさんは免状の手配はしておりました。ですが、幕府の免状だったのです。移民船の出発後にご一新があって……、無効になってしまったのです」

仙之助はヴァンリードのことになると、どうにもむきになって擁護してしまう。
「そうか。それより、お前に聞きたいのは、なぜ執拗に異国をめざすのかということだ。使節団に加わって何がしたい。言葉も達者で、異国の地を踏んだこともある。物見遊山の憧れは捕鯨船の冒険で充分じゃなかったのか。学問がしたいのか」

次回更新日 2025年2月16日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

住まいマガジン びお