山口由美
2025年02月16日更新

仙之助編 十九の七

伊藤博文の本質を突くような問いに仙之助は、考え込んでしまった。
「なぜ執拗に異国をめざすのか…………、自分でもわかりません」
「ハハハハ、わからぬままに一度ならず、二度までも海を渡ってきたのか。本当に面白い奴だな。お前は、これから何をしたいのだ。学問か、立身出世か」
「わかりません。海の彼方には見たこともない新しいものがある。その憧れだけに突き動かされてまいりました。何か新しい…………、生涯を賭けられるようなものを見つけたいと思っています。ご維新とは、それができる世の中になったということではないのでしょうか」
「お前の言うとおりだ。だが、ひとりで捕鯨船に乗るような無鉄砲さがあれば、使節団になど加わる必要はなかったのではないか」
「使節団の皆さまは誰もが新しい何かを求めていらっしゃる。私もその末席に加わりたいと思ったのです」
「ならば、大陸横断鉄道で再びサンフランシスコに戻るのは不本意ではないのか。ワシントンで、この国の中枢である東海岸で進んだ文明こそを見たいのではないか」
…………
「すまん。従者を希望したお前の申し出を断っておいて、この言い草はないな」
「いえ……、使節団の一行に加われるような立場ではないことはわかっております」
「お前のような気概のある者を従者に選べばよかったと後悔しておるぞ」
「そのお言葉だけで充分です」
「それよりも捕鯨船の話を聞かせてくれ。中浜万次郎が漂流して捕鯨船に助けられたという話は聞いたことがあるが、お前はどういう経緯で乗ったのだ」
「私は万次郎殿の教本で初めて異国の言葉を学びました。私の目を異国に開いてくださった恩人だと思っております。捕鯨船に乗ったのは、ハワイに行くにはそれしか方法がなかったからです。郵便汽船は横浜からサンフランシスコに直行しますので」

隣で黙っていた富三郎が口を開いた。
「仙之助さんは我々移民団に先駆けて、迎え入れの準備でハワイに向かったのです」

捕鯨船

「ハワイ王国は捕鯨船の補給基地だから、捕鯨船も立ち寄るということだな」
「はい。とはいえ鯨捕りが第一の目的ですから、横浜を出航した後、北の海を長く航海しました。船長は若き日の万次郎殿と共に捕鯨船で働いたことがあるとのことで、同じ日本人であれば、万次郎殿のように優秀であろうと私を雇ってくださいました。ジョンマンにちなんで、ジョンセンと呼ばれておりました」
「ジョンマン?」
「万次郎殿の異国での呼び名でございます。私は仙之助だからジョンセンです」
「ほほお、中浜万次郎とそのようなつながりがあったのか」
「お目にかかったことはありませんが」

そう言うと、仙之助は恥ずかしそうに微笑んだ。

次回更新日 2025年2月23日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

住まいマガジン びお