山口由美
2025年04月27日更新

仙之助編 二十の五

アビリーンの大通りで仙之助と富三郎は「マーチャントホテル」という看板の掛かった建物を見つけた。

オマハのアーリントンホテルとは比べるべくもない、粗末な二階建ての木造の建物だった。それでも建物の真新しさが、この町が最近生まれたことを物語っていた。

長旅の旅装を解いて一息つきたかったし、町の情報も仕入れたかった。

中に入っても誰もいない。帳場にも人影はなかったが、半開きのドアの向こうに人の足らしきものが見えた。誰かが椅子に寝そべっている。
「すみません、部屋はありますか」

仙之助は足の見える方向に声をかけた。

しばらくすると、くしゃくしゃの髪を撫でつけながら赤ら顔の男が姿をあらわした。
「こりゃあ驚いた。こんな季節にお客さんかい」
「部屋はありますか」
「ああ、いくらだってあるさ。泊まってくれるだけで大歓迎だ。お前さんたち、いったい何をしに来たんだ。どう見たってカウボーイじゃないな。商人かい」
「アビリーンは牛の町だと聞いたので」
「ここに来ればいい商売になると思ったのか」
「まあ、そんなところです」
「いつもの年なら、あと一月余りしたらテキサスから牛とカウボーイが来るはずなんだが、今年は来ねえよ」
「どういうことですか」
「どうもこうもないさ。アビリーンに牛がやって来るのを面白く思っていない奴がテキサス牛を立ち入り禁止にしちまったのさ。テキサスの牧場にお達しをしたって言うんだから仕方ない。今年はアビリーンに牛は来ない、カウボーイも来ない、ということだな」
…………
「知らなかったんじゃ、驚くのも無理はねえよな」
…………
「まあまあ、お客さん、せっかく来たんだから、とりあえず泊まって休んでいきなよ。牛の季節には安くて美味い飯を出すんだが、今はあいにくコックも暇を出しちまった。だがな、ブルズ・ヘッド・サルーン(Bull‘s Head Saloon)は店を開けているぜ。去年開業して町一番の人気になったところさ。あそこに行けば、酒も飲めるし、飯も食える」

サルーンとは、西部劇にしばしば登場する開拓時代のアメリカに特有のバーである。カウボーイたちは、ここで酒を飲み、娼婦と戯れ、賭博もすれば喧嘩もした。

雄牛の頭を意味するブルズ・ヘッドの名前を冠したサルーンは、フィル・コーという賭博師でもあったテキサス生まれの商人とガンマンとして名を馳せたベン・トンプソンが開業したもので、アビリーンの歴史にも登場する。西部開拓史上有名なサルーンだった。

次回更新日 2025年5月4日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

住まいマガジン びお