山口由美
2025年05月25日更新

仙之助編 二十の九

「おい、お前らもカウボーイになりたいのか」

ジョーイの問いかけに、まず答えたのが富三郎だった。
「そうだ、カウボーイになりたいと思っている。馬には乗れる」

富三郎が東北出身の武士階級であることを思い出した。乗馬の心得がない仙之助は焦ってしまった。牛の群れを追うカウボーイの基本は乗馬なのだ。

仙之助の不安をよそに、またジョーイが笑う。
「おいおい、馬に乗れるなんて、子供でも出来ることを自慢げに言うな。面白い奴だな。お前ら、メキシコの出身じゃねえのか」

メキシコ人はモンゴロイド系の先住民の血が混じった者も多い。彼らの容貌を見て、メキシコ人と勘違いしたのだろう。

仙之助は意を決して言った。
「私は馬に乗れません。でも、私も乗馬の稽古をして、カウボーイになりたいです」
「おい、お前、今なんて言った。馬に乗れないだと?」

ジョーイはもはや笑うこともなく、呆れたような表情で仙之助を見た。
「私たちはメキシコ人じゃありません。日本から来ました」
「は、ジャパン?どこの部族だ」

一八七二年の牛の町では、日本は余りに遠い未知の国だった。
「カリフォルニアのはるか彼方、太平洋を渡った先にあります」
「お前たち、太平洋を渡ってきたのか」

ジョーイが興味津々に身を乗り出してきた。仙之助は得意げに答えた。
「もちろんです。太平洋ではクジラを捕っていました」

クジラを仕留める瞬間

「ほう、クジラか」
「太平洋ではクジラを捕ったのだから、牛の町ではカウボーイになりたいんです」

富三郎も仙之助に負けじと答えた。
「俺は日本のサムライだった」
「サムライ?」

仙之助が助け船を出す。
「日本の勇敢な戦士ということです」
「ジョンセン、トミー、ようするにお前らは、太平洋の彼方から来たクジラ捕りと戦士だと言うんだな。それが牛の町でカウボーイになりたいのか。おいおい、面白れえじゃねえか。よおし、俺がカウボーイの基本をお前たちに叩き込んでやる」
「本当ですか?」

仙之助がたずねた。
「本当だとも。俺たち、死に損ないと組んで一発やろうぜ」

ジョーイは上機嫌にウィスキーをぐいと飲み干した。

次回更新日 2025年6月1日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

住まいマガジン びお