- 2020年01月05日更新
- 画 しゅんしゅん
三の五
「明治二十六年八月十九日逝去」
墓に刻まれていた山口粂蔵の命日だった。
富士屋ホテルがロシアのニコライ皇太子の予約を拝命し、フェニックスハウスを竣工したのが明治二十四年だから、富士屋ホテルが名門ホテルとして知られ始めた頃になる。
「明治二十六年ですか」
祐司が感慨深く言う。
「何か事件がありましたかな」
「富士屋ホテルが外国人しか泊めない取り決めをした年です」
「外国人しか泊めない?」
「はい、日本人は泊めないということです。隣に奈良屋という旅館がありまして、以前から外国人客を泊めていたのですが、富士屋との競争が激しくなって、外国人は富士屋、日本人は奈良屋という取り決めをしたそうです」
「奈良屋さんの方が先に外国人を泊めていたんですか」
「はい」
「まるで岩亀楼と神風楼のようですな。粂蔵は、外国人の金を取ることは、国を豊かにすることだと説いて、岩亀楼が独占していたところに割り入ったそうですよ。でも、外国人客を独占されたら、奈良屋が黙っていないでしょう。どうしてそんな取り決めが出来たんですかね」
「富士屋が奈良屋に毎年、お金を支払うことにしたんです」
「金を払ってまで、外国人を独占したかった?」
「粂蔵さんと同じです。外貨獲得は国を豊かにすることだという自負があったんです」
「似たもの同士だったんですな。まあ、だから粂蔵は仙之助を見込んだのかな」
「神風楼とは、まだ縁を切ってはいなかったんですね」
私はたずねた。
「もちろんですよ。粂蔵の葬式は、仙之助と綱吉が執り仕切っていたでしょう。行き来がなくなるのは、仙之助の娘たちが成長してクリスチャンになって、それからのことではなかったかな」
「ここで一番古いお墓は粂蔵さんですか?」
「そうなりますな」
「ここに墓地を買ったのも仙之助だったんでしょうか」
「さあ、詳しくはわかりませんがね。一族のひとりとして関わってはいたでしょうな」