山口由美
2023年11月26日更新

仙之助編 十四の七

一八七一年六月、元年者たちがハワイに上陸して三年の月日が経った。

契約満了の日が近づくにつれ、その後も日本に帰国せず、ハワイに残りたい、あるいはアメリカ本土に渡りたいという声があがるようになる。上野敬介景範使節の来訪後も残留を希望したのは、環境にも順応し、意気盛んな者たちだったから当然のことだった。

牧野富三郎は、これらの要望をとりまとめ、ハワイ滞在許可とアメリカ渡航許可を日本政府に申請した。上野の交渉当時には契約満了後は全員帰国が原則だったが、この頃は日布通商条約の締結を控えていたこともあり、ハワイ残留もアメリカ渡航も本人の希望次第と認められた。牧野を通して旅券申請が行われ、四三人がハワイ滞在の、四六人がアメリカ渡航の旅券を手にしたのだった。

マムシの市こと、石村市五郎は旅券を渡されると小躍りして喜んだ。

骨折した足の負傷も癒え、料理人としての腕も上げ、大工のワーケン夫妻にもすっかり気に入られていた。彼の気持ちとしては、もはや帰国など考えられなくなっていたからだ。
「富三郎さん、ご尽力ありがとうございます。これで何でもできますね」
「そうだな、大手を振ってハワイに滞在できる。仕事の調子はどうだ?」
「はい、順調です。どんな西洋料理だって作れますよ」
「そうか。それは頼もしいな。得意料理は卵料理か」
「お前の作るオムレツは一級品だと褒められますが、それだけじゃありません。仙太郎さんが教えてくれたもうひとつの料理も好評です」
「もうひとつの料理?」
「ステーキパイです」
「それは聞き覚えがないな」
「仙太郎さんがスクールボーイとして住み込んだ家のご主人の好物だったそうで、肉とタマネギを炒めてパイで包んだ料理です。ワーケン夫妻も、懐かしい味だと褒めて下さいました。仙太郎さんのご主人と同郷なのかもしれませんね」
「仙太郎は……、たいした奴だったな」
「私にとっては恩人です。仙太郎さんの手ほどきがなかったら今の私はありません。達者でおられるのでしょうか」
「無事に帰国していればいいが……

富三郎は自分自身に問いかけるようにつぶやいた。

酒場で船員らしき男たちを見るたびに仙之助のことを思い出す。

とりわけ捕鯨船の出入りが頻繁になるクジラの季節になると、無意識のうちに仙之助が乗船したクレマチス号を探していて、はっと我に返ることがあった。

そんなある日のこと、富三郎のもとにひとりの船員が訪ねてきた。

アジア系の顔をしているが、日本語を話す訳ではない。中国人なのだろうか。

片言の英語で、富三郎の名前と住所を確認すると、握りしめていた封書を手渡した。

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次回更新日 2023年12月3日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

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