- 2024年10月06日更新
仙之助編 十八の一
一八七二年二月二十九日は、小雪の舞う肌寒い日だった。
岩倉使節団の一行を乗せたペンシルバニア鉄道の車両が、汽笛を鳴らしてワシントンのユニオン駅に入ってきたのは午後三時過ぎのことである。
ホームには二人の人物が出迎えに来ていた。米国政府接待掛のマイヤース将軍とアメリカ駐在少弁務使(外交官)として一年前に着任していた森有礼だった。
森は、一八六五(慶応元)年、薩摩藩の密航留学生としてイギリスに渡航した経験を持つ。長洲藩が派遣した伊藤博文ら五人からなる「長洲ファイブ」に対して、森や五代友厚ら十九人の若者たちは、「薩摩スチューデント」と呼ばれる。
いずれも密航の手引きをしたのは、薩長と近かった英国人貿易商のトーマス・グラバーである。伊藤と森は、ともに時期は異なるが、ロンドン大学のユニバーシティカレッジに聴講生として学んでいる。その後、薩摩藩の資金が尽きたこともあり、後見人だった英国下院議員ローレンス・オリファントの紹介で、彼が信奉する宗教家トマス・レイク・ハリスが創立した宗教共同体に参加するため、一八六七年にアメリカに渡った。明治維新の年に帰国してからは、新政府の外交の担い手となっていた。
ワシントンは、当時三十六州からなるアメリカ合衆国の首都であり、特別行政区だった。その全体を総称して「コロンビア特別区」と呼ぶ。略してワシントンDCである。
ユニオン駅は、その中心部であるナショナル・モールに位置していた。国会議事堂を中心に整備された公園がナショナル・モールである。象徴的建造物のひとつであるワシントン記念塔は、当時はまだ礎石だけであり、白亜のオベリスクは完成していなかった。
駅舎を出ると、丸いドームの偉容が天高くそびえる国会議事堂が視界に入る。
使節団の一行は、一様に感嘆の声をあげて見上げていたが、東海岸の大都会も見てきた彼らは、サンフランシスコに上陸した時のように驚く様子はなかった。
伊藤は、政治交渉の舞台に降り立ったことに武者震いを感じていた。
「長旅お疲れ様でございました」
森は、伊藤に声をかけた。
「まさか大雪で足止めされるとは思わなかったぞ」
そう言って豪快に笑った。
「知らせを聞いて案じておりました」
「だが、思案する時間ができたのは良かった」
「条約改正交渉でございますか」
「さよう。我々使節団としての姿勢と意思の統一をするのに、またとない機会となった。異国の地では思わぬ出来事があることはもう慣れておる」
「伊藤様は異国のご経験が豊富ですからな」
「何を申す。お前のほうがよほど経験は長かろう。頼りにしておるぞ」
伊藤は再び豪快に笑って、森の背中を叩いた。