山口由美
2024年12月15日更新

仙之助編 十八の十一

富三郎の提案は、いきなり伊藤に直談判するのではなく、まずはサンフランシスコで顔なじみになった従者たちと再会して、面会の機会を伺うことだった。

仙之助と富三郎は、翌日から日に何度か、アーリントンホテルの前に来ては、散歩をしているふうを装って界隈を行き来した。

ホテルの玄関から何度となく同胞らしい容貌の者が出てくるのに出くわしたが、富三郎が親しくなったという人物ではなかった。

数日が過ぎた朝のこと、年若い三人組が出てきたのを富三郎は見逃さなかった。

従者の山口林之助、佐々木兵三、坂井秀之丞だった。
「林之助さん」

富三郎は駆け寄って声をかけた。
「これは、これは。富三郎さんではないですか。サンフランシスコでは大変お世話になりました。大陸横断鉄道でいらしたのですよね。大雪で難儀されませんでしたか」
「幸い我々が乗車した時には雪は峠を越えておりました」
「それはよかった。我々は塩の湖とかいう田舎町で足止めされて大変な目に遭いました。あれ、そちらにおられるのはもしや……
「はい。横浜でお目にかかりました、山口仙之助です」
「ついにお目にかかれましたね。山口林之助です」

仙之助と林之助は、手を取り合って再会を喜んだ。

富三郎は早速、使節団の動向の探りを入れた。
「皆さま、お忙しくされているのでしょうか」
「昨日、一大行事が無事終わったところです」
「一大行事とは?」
「グラント大統領との謁見でございます。今日の新聞にも報じられております」

佐々木兵三がその紙面を見せてくれた。着物姿の代表団が大統領と謁見する錦絵が大きく掲げられていて、仙之助と富三郎は食い入るように見入った。

グラント大統領との謁見

「おおお、これは。晴れがましいことですね。使節団の方々も一安心でしょう」
「いや、これから条約改正の交渉が始まるので、むしろ緊張感が高まっている様子にございます。我々としても、気を遣うといいますか……
「そうですか」

仙之助と富三郎は顔を見合わせた。伊藤との面会を依頼できる状況ではないようだ。意気消沈していると、突然、林太郎が思わぬ提言をした。
「こうして再会したのもご縁です。我々と一緒に写真を撮りませんか」
「えっ?お忙しいのではないですか」
「我々のような下っ端は、条約改正の下準備には関係ありませんから」

林太郎は、そう言って笑った。

次回更新日 2024年12月22日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

住まいマガジン びお