山口由美
2025年01月19日更新

仙之助編 十九の三

伊藤博文は、仙之助と富三郎の顔を交互に見まわすと言った。
「実は、急な用向きがあって、急遽帰国することになった」

思わぬ話の展開に二人は驚いて顔を見合わせた。
「使節団の本隊はワシントンに残る。条約改正の重要な案件で、私と大久保だけがとんぼ返りをすることになったのだよ」
「従者をお探しというのは……

話の流れが掴みかねて、仙之助はたずねた。
「私の大陸横断の旅につきあってくれぬかね」
「サンフランシスコまでの…………ですか」
「いかにも。お前たちには見慣れた道中で面白くもない話だな」
「いえ、ぜひお供させてください」

仙之助はとっさに答えていた。使節団の本隊でなくてもかまわない。こうして伊藤と再会して、同行してくれというのなら、どこであろうとかまわないと思った。
富三郎も答えた。
「ご一緒してさしつかえないのであれば、ぜひお供させてください」
「世界漫遊の使節団に加われなくて、本当はがっかりしたのであろう」

伊藤の言葉に、息せき切って仙之助は応えた。
「いえ、そんなことはありません」
「お前たちを見ていると、長洲藩の留学生として初めて海を渡った昔を思い出す。仙之助、お前、捕鯨船に乗っていたと言っていたな。つまり、密航者か?」
「はい」

あまりに素直に返事をしてしまった仙之助は慌てた。
「あ、いや……
「取り繕うことはない。私も、密航者だった……
…………
「それしか方法はない時代だったからな。だが、国の運命を背負う立場になると、無謀な冒険はできなくなる」
…………
「仙之助、捕鯨船の冒険談を聞かせてくれ」
「ご希望とあらば」
「よし、これで決まりだ。出発は三月二一日の夜だが、大丈夫か」
「はい」
仙之助と富三郎は声を揃えて返事をした。
「では、当日は午後三時頃までに旅の支度を調えて、またアーリントンホテルに来てくれ。汽車の切符はこちらで手配するので心配はない」

次回更新日 2025年1月26日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

住まいマガジン びお