山口由美
2025年07月06日更新

仙之助編 二十一の三

ブルズ・ヘッド・サルーンにジムが暇乞いをした翌日の朝早く、ジョーイと仙之助、富三郎の四人は、テキサスに向けて出発した。

愛馬のドナに乗ったジョーイが先頭に立ち、富三郎がイチと名づけた馬の手綱を持ってチャックワゴンを引いた。その隣に仙之助が座り、ジムはワゴンの荷台に乗った。

牛のロングドライブのメインルートであるチザム・トレイルを逆に辿る。

旅の初日はよく晴れて、気持ちの良い日だった。

どこまでも続く大草原に青空が広がる。吹き渡る風が心地よい。

仙之助は、わくわくする気持ちが抑えきれなかった。

牛で一儲けできるのかどうかもわからない。それどころか、無事にテキサスに到着できるかどうかもわからない。予測不能な状況は、捕鯨船に乗っていた時と同じだった。

あの時も船上からいくつもの美しい風景を見た。たとえば、ハワイのナパリ海岸にかかった虹を見たとき、どんなに船上の労働が辛くても、全ては帳消しになると思ったものだ。その時と同じ興奮がよみがえっていた。

捕鯨船に乗ったからこそ、今ここにいるとも言えた。華奢な体つきで、馬に乗ることさえできなかった仙之助が、まがりなりにも受け入れてもらえたのは、捕鯨船の経験があったからだった。クジラを捕った話をすると、カウボーイたちも一目おいた。
「岩倉使節団を追いかけてきたつもりが、なぜか牛を追いかけている」

仙之助は笑いながら富三郎に話しかけた。
「本当ですね。ジョーイにも縁がありますね」
「えっ?どういう意味だ」
「コウラウ耕地のルナですよ。あいつ、ジョーイという名前だった」
「そうだったな。よく覚えているな」
「アビリーンのジョーイのほうがずっといい奴ですがね」
「憎まれ口は叩くが、根はやさしくて頼りになる。いい仲間に会えて幸運だったな」

先頭を行くジョーイが、仙之助たちの会話に自分の名前をめざとく聞きつけて言う。
「おい、お前ら、俺の噂話をするんじゃねえ」
「ジョーイはいい人だって話していたんです」
「何言ってやがる。まあ、俺たちはいい仲間だということさ。死に損ないと……、」
「間抜けどもですね」
「わかってんじゃねえか」

まもなく彼らはウィチタに到着した。

一八七二年五月、サンタフェ鉄道の一番列車を待って、真新しい駅舎の周辺は大勢の人たちで賑わっていた。当時のウィチタは、アビリーンよりずっと小さな町だったが、これからブームタウンになろうとする「牛の町」の活気がそこにあった。

牛を連れていない四人は、賑わいに背を向けてチザム・トレイルを南下した。

次回更新日 2025年7月13日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

住まいマガジン びお