山口由美
2025年07月20日更新

仙之助編 二十一の五

大草原の彼方に夕陽が沈む。

オレンジ色に染め上げられた大空は、やがて紫色を帯びていき、濃紺の闇に沈んでいく。コーヒーのヤカンをかけた炭火の炎だけが闇夜に浮かび上がった。

ふいにジョーイが歌い始めた。
「カム・アイ・ユピユピ・イエー・ユピ・イエー、カム・アイ・ユピユピ・イエー・ユピ・イエー」

弾むようなリズムの明るい歌で、呪文のようなかけ声が合間に入る。
「何の歌ですか」
「チザム・トレイルの歌さ」
「カウボーイなら誰でも知っている」

ジムもよく知っている歌らしい。二人で声を揃えて歌い始めた。
「さあ、こっちへ来て、みんな俺の話を聞いてくれ。チザム・トレイルでの苦労を話してあげよう。カム・アイ・ユピユピ・イエー・ユピ・イエー、カム・アイ・ユピユピ・イエー・ユピ・イエー」

カウボーイたちはロングドライブの単調な旅のなぐさめとして、しばしば歌を歌った。「オールド・チザムトレイル」は、数あるカウボーイソングの中で最も有名なものだった。カウボーイたちは即興的に自分たちの辛い仕事や日常生活を読み込んだ。そのため無数の歌詞があるとされる。

仙之助は、維新前の横浜でよく耳にした野毛山節を思い出した。意味不明の囃子文句がリフレインするところがよく似ている。
「オッピキヒャラリコ、ノーエ。オッピキヒャラリコ、ノーエ。オッピキサイサイ」
「そいつは何の歌だい」

ジョーイが興味津々に聞いてきた。
「私の故郷の流行歌です」
「お前の故郷は、アジアの……ええと、」
「日本の、横浜という港町です」
「故郷が恋しくなったのか」
「そんなことはありません」

仙之助はきっぱり言うと、チザム・トレイルの歌を口ずさみ始めた。
「カム・アイ・ユピユピ・イエー」
「こっちの歌が気に入ったか。そりゃあいい」

そう言った次の瞬間、突然、ジョーイが腹を抱えてうずくまった。
「おいどうした。俺のメシを食い過ぎたか」

ジムが声をかける。ジョーイが手にした皿からほとんど手をつけていないままの豆の煮込みとサワードゥが草むらに転げ落ちた。

次回更新日 2025年7月27日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

住まいマガジン びお